佐賀調査レポート

佐賀市犬尾

 

<調査者>

久我 高広

川邉哲也

 

犬尾

 先輩方が行った調査レポート中にある西村満太郎氏というのは、おそらく西村万太郎氏の間違いではないかと考えられる。よって、そのレポート中の「円明、めん田、しのつぼ、のびらき、ろくじぞう」という地名は今も有ると考えられる。しかし、西村さんのお宅にうかがったが、玄関は開いているものの、どなたもおられなかった。そこで、近所にあった光教寺という寺をたずねた。しかしそこの奥さんしかおらず、「私は嫁に来たけん、知らん」とおっしゃった。近所で古くから農家を営んでいる家がないかと聞いたところ、西村さんのところか、新郷さんのところと言われ、新郷さんの家へうかがった。

 そこで分かったしこ名は、「ヤシキダ、ビワダ、ヒロメンダ、チャエンガク」という4つで、位置と名前がわかった。位置はよくわからないものの名前だけ覚えてあるものに、「イッポンヤナギ、ニホンヤナギ、モモ、ナシ、イッポンタニ、イッポンガキ」というものがあった。

 

 また、この犬尾という部落(自分の村)は、昔は商人の部落だったらしく、古くからの農家はほとんどないということだった。新郷敏昭さんは、その父親の代から、山津の方から本家から土地を分けてもらい、犬尾に住むことになったということだった。今ある家のほとんどが、圃場整備の際、宅地化した農地に建てられたものであるらしい。

 

 これだけでは、まだ不十分だと思えたので近所の古そうな家にも行ったがあまり収穫はなかった。どうも犬尾というところは、山津と、東西の間でごちゃごちゃになっているようだった。また、山津の人が犬尾に田んぼを持ったりしているらしかった。そのせいか、村の範囲というものも明確ではなかった。ただし、宅地がどこの村に所属しているかということは、はっきりしていた。思い切って農作業をしているおじいさんに聞いてみることにした。そのおじいさんは、横尾五郎さんと言って82才であり、話をしていくうちに西村万太郎さんと同級生であるということが判明した。

 おじいさんが言うには、圃場整備でだいぶ変わってしまってあまりよく覚えていないらしかったが、新しいしこ名を発見することができた。また、おじいさんは増田の人であり、増田辺りのしこ名も2個ほど聞くことができた。分かったしこ名は、「ガメボイ、エンメイ、シノツボ、イヌオブン、ヒガシンデク」というものだった。

 エンメイというのはチャエンガクの西にある田んぼであるらしかった。

 

 近頃の一週間以上も降り続いた雨のため大豆がダメになったとか、戦争中ビルマに7年いた等いろいろな話を聞くことができた。農作業(草むしり)を中断させて悪い気がしたので小一時間草むしりを手伝うことにした。

 水利について聞いてみたが、ガメボイから水をとっていたと言われた。また、三年前の大かんばつの時には、何の影響をなかったそうだ。山沿いや海沿いより、ここの辺りが一番いいとおじいさんは言っていた。

犬尾(ただし厳密に犬尾というと犬尾に含まれないものもある。)

ヤシキダ、ビワダ、ヒロメンダ、チャエンガク、ガメボイ、イヌオブン

(屋敷田)(枇杷田)(広面田) (茶園学)

                      エンメイ

増田

ヒガシンデク イッポンマツ シノツボ

 

感想

犬尾に古くから住んでいる人が大変少なく調査が難攻した。やはり、この調査は、「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」と「当たって砕けろ」の精神が大切だと思う。



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