歴史と異文化理解A

阿高でのしこ名調査

 

<調査者>

藤嶋千也

シャファルディン

入江浩司

 

<村の水利>

 大正生まれの新郷勝市さんが記憶しているかぎりでは、北山ダムから水を近くにはりめぐらされている水路にひき、その水路から田ん中に水をひいていて、現在もその経路で取水しているそうだ。

 また、水路、その水路にある井には、特に名前はないそうだ。

 次に、水路を使用している家は阿高で10軒、阿高に隣接している山津で10軒ほどで、そのあたりは水が豊富で、さらにきちんと水路を管理していた役人がいて、水争いなどはなかったそうだ。

 

<今年の渇水対策>

 圃場整備でつくられた水路があったため、水対策は特に必要なかったそうだ。もしこの水路がなかったならば危なかっただろうと話していた。

 

<淡水灌漑地域>

 淡水灌漑地域についてたずねたところそんなものはなくまた井桶番とかいったものもないそうだ。ホリは共同で使用しているといっていた。

 

<阿高の田ん中について>

 阿高では、特に米がよくとれるような良田とか、あまりとれない田とかはなく、だいたいどの田ん中でも1反あたり10俵ぐらいとれると言っていた。圃場整備される前と今とでは収穫はほとんどかわらず、やはり天候が一番収穫を左右すると強く言っていた。

 また、裏作ができる田ん中、麦作ができない田ん中といったものはなくどの田ん中も二毛作で麦までとれるそうだ。

 

<化学肥料について>

 戦前の化学肥料が入る前には、1反あたりの収穫は8俵から9俵で、現在とさほど収穫はかわってないようだ。阿高で使われていた肥料は農協からくばられた化成肥料46で今もそれを使用しているそうだ。

 

<今回たずねた人>

新郷勝市さん    大正5年生まれ

武町一郎さん    昭和3年生まれ

新郷勝市さんによれば、阿高の区長さんは若くて、こういう話はほとんど知らないとのことで、こういうことに一番詳しい人は武町さんとおっしゃったので、武町さんにおたずねしました。他の方におたずねしましたが、ほとんどの方は知らないとおっしゃいましたのでたずねた方が2人と少なくなりました。

 

<村の範囲>

 二人にたずねたところによると阿高という村はとても小さく、地図に書いた範囲で屋敷といくつかの田ん中だけであった。

 

<今後の日本農業への展望>

 現在日本の農家はほとんどが兼業農家で休日のみ耕作をするという状況だ。今、規模拡大が叫ばれているがこのような状況では無理だ。かといって、規模拡大しなければ何百万もする機械で一反、二反ぐらいを耕すことになり採算があわない。このことをどうにかしなければ先行きは暗いだろうと武町さんはおっしゃっていた。

 

<その他>

 圃場整備のおかげで以前は、五角形の田ん中とかでかなり機械が使いにくかったが、田ん中が四角形に農道が十文字になり農業がやりやすくなったと言っていた。しかし整備した当初は田ん中がでこぼこになり、収穫がかなりへったが2~3年でもとにもどったと言っていました。

 

<感想>

 阿高はとても小さなところで、さらに区画整備が行われていたので与えられた地図ではわかりづらかった。また、このような地名は道をたずねても若い人は知らなくて阿高を見つけるのにとても苦労した。阿高を見つけ、見かけた農家の人にしこ名をたずねてもそんなものは知らないといわれ、その後しこ名の説明をするといった具合で、しこ名を聞き出しても位置も名前もあいまいな答えばかりであった。このように家族の中だけで通じるような言葉とかいったものはもう使っているようには見えなかった。



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