【杵島郡白石町神辺、馬田地区】 中世の村と人々現地調査レポート 1AG942鈴木加奈子 1AG94104佐々木展代
神辺(こうのえ)・条里制らしい。
@ しこ名(場所がはっきり分からなかった。) いちのつぼ にのつぼ さんのつぼ 13(じゅっさ) 14(じゅっし) 21 22 23 24 28 みずまち きたんやしき A 尋ねたこと 1) 水田にかかる水はどこから引水されているのか。 どこにある、何という川、何という溜池を利用するのか。 A 溜池=堤 ・ ふなのつつみ ・ がせがわのつつみ ・ やきごめのためいけ ・ あさひのためいけ ・ ながいけのためいけ 村の北にある六角川(一級河川)を利用。 2) その用水は単独の水利なのか。他村と共有なのか。 A 部落で共有していた。現在15町で共有。 3) 水利慣行について A 存在した。 4) 過去に水争いはあったのか。 A あった。土地が高い所と低い所で部落民の間で争いがあった。高い所の方が水が来ない。そのため競争水が配られていた。現在はない。 5) 山を村で共有していたか。 A 村で村有林を共有していた(部落毎)。 1〜2月に芝刈りをしていた。 焚き物に使う。 鬮で分けていた。 6) この村では特に米が良くとれる所ととれない所があったのか。 A 山つきと平坦地で違いがあった。1俵ほどの差。 7) 戦前の肥料は何を使っていたか。 A たん肥を自分の家で配合していた。カリ、リン酸、尿素、硫安などがかまぎの中に入っていた。 8) 裏作はできたか。 A 水がはかない所ではできなかったが、その他はできた。 9) 今後の日本農業への展望(この地域での) 国が農業の大型化を奨めているが、後継者がいない。若い人でも40歳であるので、実現するかどうか分からない。将来a11兼業農家になると思われる。
*お話して下さった方の氏名と生年月日。 永井敏之さん 昭和3年(66歳) 土井新さん 昭和16年(54歳)
馬田@ 尋ねたこと 1) 水田にかかる水はどこから引水されているのか。 どこにある、何という川、何という溜池を利用するのか。 A 須古川から引水(昔) 永池の溜池(現在) 昔:小さい堀がいっぱいあった。水路の所は昔、六角村が所有していた切れ地だったため、地中に管を通して水を得ていた。 2) その用水は単独の水利なのか。他村と共有なのか。 A 部落で共有していた。 3) 水利権について A 先祖代々から問題になってきたものだった。農家は水に関して非常に敏感だったらしい。 4) 過去に水争いはあったのか。 A 存在し、解決できない。排水についてもさまざまなトラブルがあったようだ。一番水がない地域だった。 5) 山を村で共有していたか。 A 須古村で村有林が多かった。場所はもう分からない。その村有林を部落毎に管理をしていた。毎年少しずつ切っていた。薪に使っていた。お客さんの時に使用。 6) この村では特に米が良くとれる所ととれない所があったのか。 A 水の十分な所と十分でない所の差があった。その差は大きかった。水はけの良い所と悪い所があったため。 7) 裏作について A できる所とできない所があった。 8) 肥料は何を使っていたか。 A たい肥が主だった。ぎょふん、油カス、イワシの干したもの、大豆の油カス(まめたま)などを混ぜていた。 9) 今後の日本農業への展望(この地域での) 現状維持でいつかまた農家が主となる日を望んでいる。先祖からの土地であるのでやめる人はいない。
*お話しして下さった方々の氏名と生年月日 古川増男さん 昭和16年 小川禮次郎さん 大正2年 永尾茂松さん 大正11年
|