【杵島郡白石町福田地区】 中世の村と人々 現地調査レポート SU-27 1AG94064■ 柏木亮一 1AG94087■ 黒丸大祐 まず最初に秀新村生産組合長、小野孝則さん(59)宅を訪問した。
柏木:現地調査で九州大学から来た者ですけど、お話を伺ってよろしいでしょうか? 小野さん:ええ、私にわかることでしたら全部話しますよ。知らないことは話せませんけど(笑) 柏木:あの、まず昔使われていたしこ名について聞きたいんですけど。 小野さん:しこ名って何ですか?おすもうさんについている名前ですか?(笑) 黒丸:いいえ、そうじゃなくて、小字ってありますよね。小字じゃなくて、その土地特有の、家族単位とか、限られた地域で使われる田ん中や土地の呼び方です。しこ名というらしんですけど…。 小野さん:しこ名とは言わないですねぇ。“あがんと”とは言うけど。 黒丸:それでは、その“あがんと”について、できるだけ詳しく教えてもらえないでしょうか? 小野さん:“あがんと”とは昔、鍋島氏が使っていた呼び名で、狩りの際に使っていたものが転じて、今に至って使われているものです。例えば、よりうち(寄り打ち)、よせうち、おおいのま(追いのま)、さぎよい(鷺よい)、しんがり(神狩)などです。 柏木:それでは、しこ名とはあまり言わないんですね。その、それぞれの“あがんと”が現在のどのあたりを指しているのですか。
小野さんにそれぞれについて説明してもらう。
黒丸:昔、利水に関して他村との話し合いや取り決めはあったのですか? 小野さん:昔、この白石町は六角村、福治村など4つにわかれていました。村によって収穫差(引水による)があったので、やはり話し合いなどは結構ありました。 柏木:昨年は全国的に干ばつで、この辺りも例外ではなかったと思いますが、被害と対策について聞かせてもらえますか? 小野さん:去年は100年に1度くらいの干ばつだったからねぇ。8〜9俵しかとれなかったねぇ。 柏木:例年はどれくらいなんですか? 小野さん:10〜11俵はとれるねぇ。 黒丸:もし去年のような干ばつが、30年前にあったとしたらどうなっていたでしょうか? 小野さん:やはり30年前は補助整備がひどかったからねぇ。引水のためのポンプが個人管理だったり、個人の土地にも高低差があったりしたので、被害にも個人差があっただろうが、今の倍以上はひどかったろうねぇ。 柏木:今はもう高低差などによる引水の損得などで、収穫差が出たりはしないのですか? 小野さん:部落によってちがいますが、やはり、収穫のよい所と悪い所はありますよ。悪い所はよい所の75%程度の収穫量しかありません。私の所はそういう補助整備がなされていないので、いろいろと不満はあります。 柏木:家族内で時に田ん中に名前をつけているものがあったら、教えてもらえますか? 小野さん:東ん坊、よいうち、かみ(かん)やしきなどと名前がついているものがあります。よいうちは一番大切な土地です。 柏木:ここの田ん中は、どこから水を引いているのですか? 小野さん:永池や朝日ダムです。この秀新村以外にも、秀村、六角村、福富村の一部もそこから引水しています。今ではポンプ場ができてもめごとはありませんが、過去には、いろいろともめごとがありました。 黒丸:現在はいろいろと化学肥料を使ったりされていると思いますが、昔はどんな肥料を使っておられましたか? 小野さん:昔といっても、昭和の初期頃ですけども、いわしやにしんなどをすりつぶした魚粉や、石灰、硫安、牛のふんなどでした。 黒丸:その他に工夫されているようなことはありますか? 小野さん:そうですねぇ。田ん中にうねたてをしています。うねとは、その中に稲藁などを入れ土をかぶせて寝かせておき、次の年にはくさって土になります。それを別の田ん中とうねと水を毎年交互にやっていました。 柏木、黒丸:いろいろとご親切にどうもありがとうございました。
小野さんに別れを告げ、小野さんの紹介の筒井忠次さん(82)を訪問する。
筒井さんのお話 ・大字遠の江あたりの人々は、大字福田(筒井さん宅周辺)のことをあげ(陸のこと)とよんでいる。逆に筒井さんたちは遠の江あたりをからみ(干拓地のこと)と呼んでいる。 ・部落ごと、家族ごとに田んぼの呼び方がある。 ・昔は基盤整備がなく、水害がある所、ない所があった。今は整備により水害は少なくなってきた。
秀新村から北西方面(馬田という地区)までは、満潮のとき六角川の水が増水してたまる。(あお)それを利用するという方法がとられている。時期は梅雨。 |