【杵島郡江北町上惣、下惣地区】

中世の村と人々 現地調査の結果報告

SU-29 1AG94143 津田恭征

      1AG94183 西村修一

      1AG94185 根本 聡

 

 僕たちは、上惣、下惣、2つの区の生産組合長さんを訪ね、大字惣領分について、次のようなことを質問し、答えてもらいました。

 

i)Q:村の水利のあり方について

  A:この地域の土木事業は、秀吉の家来で、朝鮮出兵後、鍋島藩につかえた武将の一人、成家兵庫茂安によって行われ、非常に土木、水利、堤の築造にたけていた。調査した惣領分(とりわけ下惣)には佐留志城などがあり、そのために惣領分は、天領なみの扱いを受けていたらしく、安土、桃山のころから慣行水利権を持っていた。また、そのころから、金をかけて少しずつ改良を加えていき、その権利をゆるぎないものにしていった。その水源は多久市羽佐間にあり、場所は惣領分から約10km離れた所にある。その経路は以下のようになっており、それぞれの村で共有しているらしい。

     羽佐間(水源)→納所(のうそ)→川砥(牛津)→永田→惣領分

(ただし、惣領分には、江口、祖子分、馬場、鳥屋、下惣などの集落(部落)がある)

     これらの村々は刻割(ときわり)といった、「各地区配水日時一覧表」といったものを利用して、効果的に水を利用している。この他に、新堤、東堤、中堤などの堤などを利用している。(地図参照:佐賀県立図書館所蔵)この堤の水利権は下惣などの村々が持っており、上惣にはなかった。今でこそ、羽佐間水路が上惣にまでのびているが、その昔は水路もとどかず、堤の水路権をもたない上惣の人は、田んぼの水を干上がらせてしまったこともあるそうです。(その場所については、地図、赤斜線)

     この水路や堤の管理については、水路においては、昨年の大干ばつに際し、水門(ヒモン)を6〜7人が6時間おきに交代で見張ったらしい。また、堤においては、その地区の区長さんが堤係となり、栓うち、栓抜きを行い、その水量を調節した。

昨年の大干ばつにもかかわらず、このしっかりとした水路のおかげで、水には何人とも不自由しなかったらしい。が、隣の大字佐留志は水が不足し、その分を惣領分が補ってやったらしい。また、水利権に関しては、佐留志とのいざこざは昔から絶えなかったらしい。他の地区がねたむほど、昔から水には不自由しなかったことがうかがえる。

 

A)Q:どんなしこ名がありますか。

  A:@水路

      更溝(さらみぞ)、地蔵堀(じぞうぼり)、太刀堀(たちぼり)、角栓堀(かくばしらぼり)、代地堀(だいちぼい)、犬子堀(いんごぼい)、ひょうたん堀、横堀(よこぼい)、おたつぼい、三十六堀

 

A地区

      鳥屋(トイヤ)、ノウテ、鍛冶屋(カジヤ)、唐屋敷(カラヤシキ)、角田(スミダ)、野口(ノグチ)、麦田邸(ムギタヤシキ)、七軒(シチケン)、新溝(シンミゾ)、馬神(ウマンカミ)、下い道、乾(ヘタ)、堤の下(ツツミノシタ)、中島(ナカシマ)

 

 直、田んぼのしこ名は、戦前は地主さんの名前の後に、上、下、裏などといった呼び名で呼んでいたらしい。現在では、前述にある地区や水路の後ろに、上、下、裏、前などといった言葉をつけて田んぼを呼んでいるらしい。

 

@、Aの名の由来

 ○太刀堀、鍛冶屋……佐留志城の周りにあった。

 ○七軒……農民の家が七つあった。

 ○代地堀……惣領分の土地にある新堤から、大字佐留志が水を引くかわりとして、佐留志からうけとった土地と堀。

以上のしこ名は地図参照のこと。

 

 条里制にともなう小字は、土地所有などを示す資料などには記載されているが、日常ではやはり、しこ名を多用するようである。小字の中では、同じ地区に「五本松」と呼ばれる所が4つほど存在するらしいです。

 

B)Q:ホリにあるゴミの所有権のあり方は?

  A:堀のゴミをすくうのは、堀の周りに農地をもつ人々が各人ですくい自分の田んぼにまいたそうです。昔、配分肥料のなかった頃は、ゴミはすくってから3〜4ヶ月乾かすことによって、肥沃な土壌となるので、大変好まれたが、現在ではビニールや発砲スチロールなどが混ざっており、その利用はほとんどなされていない。

 

C)Q:どのような肥料を利用していたか?

  A:有機肥料…堆肥、魚かす、草木灰

 

D)Q:収穫はどのくらいか?

  A:(戦前)8俵/1反、(戦後)10俵/1反

 

 また、質問にいった百崎さんは、888kg/10aの多収穫で農林省から表彰をうけたそうです。昭和47年のことです。1俵が60kgですから、14〜15俵とその多さには驚かされました。

 

E)Q:村の家畜・副業について

  A:戦前は家畜としては、馬が主流であったが、戦後になると家畜は農耕用として牛、商品用として豚が主流となった。現在では、家畜を育てている所はないようであるが、副業として、ぶどう、タマネギ、レンコンなどを作っている所があるらしい。また、昔から、惣領分は、他の地域とは異なって豊富な家が多いらしい。

 

<お話を伺った方>

下惣…百崎晴夫さん(大正13年生まれ)

上惣…田口定義さん(昭和生まれ)



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