【杵島郡江北町観音下、石原地区】 中世の村と人々レポート 1TE95708■ 上村 聡 1TE95724■ 西岡貴弘 1TE95706■ 尾野憲司 観音下 ○水利のあり方 田ん中の水は上畑川溜池(最大容量約9万t)からの引水が主流であるが椿郷溜池(大谷溜池)の水も利用している。観音下の区域内には畑川溜池もあるが、ここの水は海抜高度などの関係で大字下小田の方に水を流している。水の利用は石原と同様、上小田土木委員で話し合って決める。具体的にはいつ、どこの溜池の水門を開けるかなど、水門を開けることで、その水門の支配下にある地域の田は長時間かけて自然に満たされるようになっている。上畑川溜池には2つ水門(他の溜池にはほとんど1つしかない)があり、1つは観音下、もう1つは畑川溜池へ流れるようになっている。 昨年の干ばつでは観音下では水をめぐる小さないざこざがあったようである。昨年は上畑川から畑川へ、かなり水をわけてあげたそうだ。(畑川溜池が空っぽになった)観音下では工場(佐藤工業etc)排水を田ん中におとせるようにしてあるようだ。(工場が高い位置にある) ○観音下の名前の由来 戦前は観音下を南区、石原を北区と呼んでいたが昔からあった馬頭観音(長崎街道での馬の休憩場)の“観音”をとって、戦前から“観音下”と、現在の名で呼ばれるようになった。昔は観音下がこの辺りの地域で最も栄えており、役場、警察などは全て、この辺りの地域に集中していたという。 ○水路のゴミ 昔は水路のゴミをそのまま田ん中に入れて肥料としていたが現在はビニール、缶などが多く、業者の人に出してもらっているようだ。 ○圃場整備前と後での違い 区画整理前はこの地域は段々畑が多かったが、段をなくしあぜ道をとり、トラクターなどの出し入れがやりやすくなり能率が上った。圃場整備は、現在は半分終了していて残り半分は平成8年に完成する予定である。整備は丁度米を植えていない裏作の時期におこなうそうだ。裏作は麦、玉ねぎなどを作っている。 ○米の自由化について地元の人はどう思われるか ・納得いかない ・政府の言っていることと、農家の人が言っていることが全く違う ・日本の生産者は日本人の生活には日本米があっていると政府にいっているが政府はわからない ・外米は薬の使いすぎで、人に害がある ◎自由化について否定的な意見ばかりであった 石原 ○水利のあり方 水田の水は草場溜池(最大容量4万t)からの引水であり、水の利用法は、岳、上区、石原、観音下からの代表者(生産組合長、区長)での上小田土木委員で話し合う。このため、今まで(去年も含め)大きな争いはなかった。 ○耕地について 昭和35年頃まで昔は稲がつかる程であったが、今は整備され困ったことになるような事はないらしい。肥料については、昔はフンであったが、今は有機肥料を使用しているらしい。その肥料も量は10分の1に減り、回数も8回から2回に減った。(これを有機減農法というらしい) 水田のゴミは、以前は村の人がスコップで汲み上げて、それを肥料にしていた。しかし今は、ゴミは役場まかせでそれを業者の請負にまかせている。そのゴミの質が今と昔は変わってしまったからである。 全体的にこの地区は良田であり、また裏作としては麦が主で他にイチゴ・アスパラ等も栽培しているらしい。 ○今後の日本の農家についてのご意見 山下さんは現在、夫婦2人で今の田ん中を切り盛りしておられ、息子さんたちは都心部の方へ行っているらしい。後継者がはっきりと決まっていないらしい。「私たちまでだね。専業農家は」とおっしゃっていました。 米の自由化についてお伺いしたところ「物価の高い日本で外国と比べたらね。」とおっしゃっていました。でも他の食糧の輸入については、「もしストップしたら、肥料もなくなり肉、卵もなくなってしまうだろう。」とおっしゃいました。鶏卵については個人でやっている人はもうほとんどなくて、農協などが経営しているらしいです。 (前項と同じ)最後に食管法が新食糧法に変化し、見通しが暗いらしい。米の値は50年頃から一定で、60kgがだいたい1万6000円位だそうだ。(ちなみにヤミ米は4〜15万円) 「石原の専業農家16のうち2は、管理のみで田ん中を預けてしまっている。」 感想 今回、中世の村と人々の講義を受けて、素晴らしい体験をさせてもらいました。僕は正直いって今まで田んぼにその村の人達特有の呼び名(しこ名)が、あるとは知りませんでしたが、佐賀の江北町を訪問して、心温かい出迎えともてなしをうけ、さらにその町の名所なども案内してもらってしこ名が調べられたことだけでなく、江北町の皆さんの心のあたたかさが伝わってきました。 ところで、観音下の方のしこ名は僕たちが何回聞いても区長さんは昔からの呼び名がそのまま小字になったとおっしゃったので、観音下のしこ名は調べることはできなかったというか区長さんのおっしゃるとおりのような気がしたので、そのままにしておきました。石原の方は1回訪問したときに1つ聞くことを忘れていたので2度もお世話になりましたが、そのときは奥さんがおられたので、1回目に記入できなかった所がかなりといっていいほど埋まったのでラッキーでした。当日は豪雨のためびしょぬれになり、お伺いした家の方々にも大変迷惑をかけたし、自分たちも晴れの日よりも倍の苦労をしたと思いますが、見知らぬところを訪問し、いろいろ聞いて回ったことが、今後の人生で何らかの糧となることだと思います。 こういう授業こそ大学生らしい授業だなあと思いましたし、中々楽しめたのでこういう授業がふえたら勉強意欲が増すことだと思います。 以上 |