【杵島郡江北町上区、岳区地区】

中世の村と人々

1TE95723 中島

1TE95796 松本

1TE95716 白川

<上区>

・昭和9年生まれの山下住夫さん(61才)に話をして頂きました。

・上区では、H8年から2年間にわたり、田畑整備があるという。(佐賀県で行うのは上区のみ。他の区は既に終わっている。)

・上区では主に、「大谷溜池」、「椿郷溜池」から水をひいている。

・上区では、しこ名などという田ん中の名はないそうである。そのかわり、田ん中のことを大字を使って呼んでいる。

・村の水利のあり方は厳しく、村だけで用いるものであり、バケツ一杯の水も他の村にはやらないといったようである。それが端的に表れたのは去年の大干ばつのときである。

・去年の大干ばつでは、特別な水対策はしていないようだが、村の有力者、非有力者の格差がはげしく、やはり水をひくことのできる田、できない田がでてきた。また、他の村からのもらい水などはなかった。(これは昔からかわらない。)

・村には共有の山林などはなく、国有か私有である。

・村の権力の階級に応じて水利のあり方がかわってくるのは、上に述べた通りである。それに応じ反当収穫量も異なり、良い田では反当10俵、悪い田になると1俵もとれないという田もでてきた。

 

〔感想・意見〕

・今後の日本の農業には、目で見てすぐわかるような高齢化がみられる。やはり若者は、厳しい・低収入・よごれる、つまり3Kの農業はやりたくないのであろうとのことだ。山下住夫さんの息子さんも農業にはつかず、警察官になったということである。しかし山下さんはそんなことを悲しんではないようだった。「自分の子供には、農業などはやらせたくない。」と、意外なことだった。よく報道などであるように、村の農作業に従事する人々が、村おこしなどを通じて村に来てくれなどというような答えがかえってくると思っていた。しかし、山下さんは違っていたのである。

 今や、日本は米、野菜、花いろいろなものを輸入に頼っている。そんな中で日本の農業は生き残っていくことができるのでしょうか。機械化にも金がかかり、小作人のコスト高も問題視される今、山下さんのような地主はその日暮らしの生活を送っている。これが今の日本経済を支えている生産層の現状である。何と皮肉なことであろうか。しかし、農業を辞めるということもできないのである。都会では1坪数百万とするのに、佐賀のような田舎の農地といえばせいぜい数千円くらいだそうで、つまり畑、田を売って金を手に入れたとしても、その後の生活を保障できる程の資金は手に入れることができないのである。よって農業を続けるほかはないのである。笑みが次第に薄れていく山下さんの顔に、今後の日本の課題を見たような気がした。

 

 

<岳区>

・岳の差・まあ竹・島太郎は岳堤の水を利用し、前の谷・十前寺は、岳堤から道路のわきにそって流れている水路を利用している。

・おこんご・墓の上・墓の下については、境川(=おこんご川)を利用している。

・浦の谷は、鹿口溜池を利用している。

・ホリのゴミは、化学肥料ができる前までは、タルに入れて背負って持って帰ったらしい。所有権などは、特になかったようである。

・水路については、道路にそって流れていた。

・あと浦の谷と前の谷の間の田んぼは、農地改革によって作られた。

・岳区の範囲は、もう1枚の地図の黄色のペンで囲んだ所であり、上区についてはピンクのペンで囲んだ所である。

・今回、話をしてくださったのは渋谷清澁さん大正8年生まれの76才の方でした。

 

〔感想〕

 今回、農村調査をして感じた事は、若い人達は百姓を継ぐのを嫌がっているのだなあという感じがしました。上区の方では、あと数年後には借地にださなければいけないと言っていたし、百姓の年収は少ない上に仕事はきついと言っていました。それに、日本政府の米の自由化問題などがあり、今後はどうかと聞くと、農家はだめだという答えが帰ってきました。こういうのを聞くと、日本はもう少し農家の人々について真剣に考えなければならないのではないだろうかという感じがしました。



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