【杵島郡江北町江口、正徳、馬場地区】

中世の村と人々レポート

対馬 誠

土谷大輔

出野竜平

鍋島正晃

 

◎村の水利のあり方

 まず水田にかかる水の源は天山の伏流水である。この水が多久川、そして牛津川へと流れてきて、この水を田へ引水している。この水系をはさま水系と呼ぶ。馬場、江口、正徳の地域では過去においても水争いはなかったそうである。水路は堤防の近くにつくるわけにはいかないので町道ぞいに通っている。このことを「一道一水」という。田には揚田(あげた)と搦(からみ)があり、揚田には水系があるのに対し搦には水系がない。よって搦は、昔は雨の水に頼るのみだったので、稲の出来具合も揚田よりは悪かったそうである。しかし現在では、はさま水系からのもらい水があるため収穫量は揚田とほとんど変わらないそうである。

 

◎1994年(平成6年)、つまり去年の大干ばつについて

 過去において去年ほどひどい干ばつはなかったそうである。特に中部、北部、南部がひどかったそうである。そこで去年は6月1日から水引きをし、9日に1回水がまわってきてそれほど収穫量は減らなかったし、水系のない搦においても、はざま水系からの水や、昭和43年の大渇水の時にほった井戸の水を使用して、揚田とかわらない収穫があったそうである。よって水争いもなかったということである。これは惣領分での話であって、佐留志は別で米は全くとれなかったということである。というのも佐留志には水がたまるようなほりがないからである。惣領分ではしんつつみのため池の水を6部落で共有してほぼ満作だった。また江北町では鉱害復旧事業による圃場整備が早かったため、30年ほど前の干ばつの時も、昨年と同じように対処できたそうである。これからさらに土地改良の予定は特にないようである。

 

◎村の耕地について

 この辺の土壌は泥のため軟弱地盤である。というのは有明海の反時計回りの潮流によって流されてきた泥がたまったものだからである。六角川も泥で年中にごっていて、この泥のことを「浮泥」という。よってこのやわらかい土壌に水路をつくることはできないので、コンクリートをまぜて固めた後、水路をほるのだそうだ。あと田んぼには昔、開拓した人の名が付いていることが多いそうだ。

 

[江口]江口初雄さん 大正7年生まれ 73才…江口さんは田んぼの評価をやっている。3角形とか電柱のある田んぼは評価が低い。

[正徳]江口敬広さん 大正9年生まれ 71才

[馬場]小林 司さん 昭和9年生まれ 61才…後継者難なので田んぼは第三者に貸すそうだ。※江口、正徳は後継者多。

 

◎しこ名について

 ほとんどの田は正式な名称で呼ばれている。よってしこ名はあまり使用されていなかった。

 

江口……おうがん、まーぼい(丸い堀が由来)

正徳……よこた、わさだ、一本松、うまひき、ふかどおり、ひがしんからみ(朽木搦、正徳搦等、16の搦をまとめて呼ぶ)

馬場……くだりみち、ひらき



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