【神埼郡神埼町横武下六丁、戸井土】

歩き、み、ふれる歴史学

1AG96260■ 古澤貴樹

1AG96263■ 吉原弘之

 

中牟田敏晴:昭和3年生まれ (下六丁区長)

宗雲一己:大正11年生まれ

 

下六丁 田畑  ショウイチイ(正一位)     ジゾウバシ(地蔵橋)

        サンボンマツ(三本松)     ジャトイバシ(蛇取橋)

             (村中)       シモノハシ(下橋)

                        マツデ(松提)

 

 

 

 

   野口英美:大正11年生まれ

 

戸井土 田畑  クイノウチ(栗ノ内)  その他  ジゾウバシ(地蔵橋)

サンボンマツ(三本松)      ジャトイバシ(蛇取橋)

(村中)        シモノハシ(下橋)

マツデ(松提)

 

 

 

 

 

一日の行動記録

 バスを降りて、とりあえず下六丁の方へ向かうべく、南へ足を向けた。特に方針を決めていなかったので、まず公園へ行き、現在地の確認をし、早速、下六丁の調査を始めることにした。公園近辺の家からあたっていくことに決まり、見かけたおばあさんに声をかけた。すると、彼女は分からないようなそぶりを見せ、詳しそうな人の家を教えてくれたので、その家へ向かうことにした。そして、その家を訪ねた我々を迎えてくれたのは宗雲さん一家だった。彼ら自身はあまり知らないようだったが、親切にも前区長さん(平山九州男さん)の家まで車で送ってくれた。ところが、前区長さんは外出中であり、のども悪いということなので残念ながら、話を聞くことができなかった。すると宗雲さんらが現区長さんの家へ連れていってくれた。現区長さんの家を訪ねたところ、またも不在であり、息子さんは昔の事なので分からないと言っておられたので、区長さんの居場所を聞き、その場所へと向かった。彼はビニールハウスの中でイチゴの手入れに精を出してらっしゃったが、忙しいところを親切にも話をしてくださった。区長さん(中牟田敏晴さん)は、“太刀裏 ”という地名は姉川城の堀をはさんで、内側を“太刀”というのにちなんでつけられていたという話や、クリークが昔は曲がりくねっていたが、今では区画整備されて、まっすぐになってしまった話、余談でフナがよく釣れる事などさまざまな事をおもしろく話してくれた。だが最後にこんな事を知っているのも、もう4、5年したらいなくなってしまうだろう、とも言っていた。

 次に戸井土を調べようとしたところ、宗雲さんらに心当たりの人がいるらしく、また連れていってもらうことになった。

 次に話を聞いたのは野口英美さん。彼もまたとても親切で、書きにくいだろうと椅子を用意してくれた。彼の多くの話の中でおもしろかったのは、蛇取橋で蛇をとって、近くの塚に埋めていたという伝説や、松提が松を植えた提防で、群境にもなっていたことなどである。

 その後、彼らのあついもてなしを受け、最後にクリーク公園へと連れていってもらった。クリーク公園の中を見てまわりながら、今日一日をふり返り、佐賀の人々のあたたかみにふれることができたのが今日の調査の一番の収穫だったと感じた。



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