【神埼郡神埼町横武宿町、戸井土】 火曜2限 歴史と異文化理解A 現地調査 944727 松井 紀久 944733 矢野 正幸 我々は宿町戸井土について調査した。 まず、戸井土の区長さんのお宅を訪ね、お話を伺った。 区長さんの古川正義さんのお話では、あまり昔のことは御存知ないとのことだった。まず、水田のしこ名について尋ねたところ、今は圃場整備のため昔とはほど遠い状態になっており、圃場整備が行われる以前の地図がないとどうにもならないと言われ、地図の中のだいたいの部分を差して、「村中」「三本松」という呼び名2つを教えていただいただけだった。川や橋、水路など水田以外のしこ名についても伺ったが、同じようにわからない、とおっしゃった。 次に、去年の夏の渇水時にとった水対策について伺った。普段は城原川から横落川を経て、尾崎を通じて水をひいているそうだが、渇水時には南にある佐賀水道からポンプアップしたそうだ。佐賀水道は国の管割であるが、去年は許可をもらって使うことができ助かった、ということだった。 戸井土の区長さんは他に話せることはないとおっしゃったので、他に圃場整備が行われる前の戸井土の様子についてくわしい方はいないか尋ねたが、よくわからないとのことであったので、戸井土の調査は終えることにした。 次に宿町を調査したのだが、戸井土の区長さんの話では、尾崎の区長さんに聞くのがよいとのことであったので、尾崎西分の集落に足を向けた。区長さんのお宅を訪ねたところお留守であったが、少し待っていると奥さんが帰っていらして、区長さんは公民館で会議に参加していらっしゃるというので、そちらに行ってみた。公民館ではまだ会議が続いており、二十人程の農家の方々が集まっていた。そこで宿町の昔の様子について聞いてみた。 まず、水田のしこ名についてであるが、みなさんのお話によると、しこ名を使っていたのは集まっていた方々(60〜70代の方も見られたが)の一つ上の世代であったらしく、「げんずう」という1つのしこ名がわかっただけだった。次に田以外のしこ名について聞いてみたところ、橋や水路のせきなどのよび名を教えていただいた。そして、去年の夏の渇水対策を伺った。宿町は、普段は戸井土と同じく城原川から「三千石」というせきを通り、横落川を通じて「這松」「京塚」「中浦」をへて水を供給しており、渇水時には「その気になればなんとかなる」とおっしゃって、とりわけ特別なことはしていないそうだ。 話を聞けたのはここまでで、あとのことはよくわからない、とのことだった。 尾崎西分の区長さんは、松永正己さん(大正14年生まれ、69歳)だった。 以上で調査を終え、聞いたことを地図にまとめた。その地図は以下に添える。 (佐賀県立図書館所蔵) |