歴史と異文化理解(A) 〜佐賀での水田のしこ名などの調査〜 S1-15 944744 小西忠仁 僕たちは鶴田という地区の調査を行った。城原川沿いの道で、バスから降り、土手の下の方にあるこの地区を少し歩いたところ、地区は、それほど広くなく、水田もあまり見られず住宅地のようなふんいきがあった。 まず通りにいたおばさんに、農業をしている家をたずね、建設会社で農業を少しだけされているツツミ建設というところをたずねた。しかし、ここは、あまり長く鶴田に住んでいる方ではなかったので、ここで区長さんの家を教えてもらい、そこへ向かった。しかし、区長さんは用事で外出中で、息子さんの話では区長さんもそれほど長く鶴田に住んでいる方ではないということだった。それで、昔から住んでいるタジマさんという方を教えてもらったが、ここもあまり長くないということで、さらに以前から鶴田に住んでいる内川さんを紹介してもらいそこをたずねた。内川さんは、話をしてくださる雰囲気だったけれど、しばらくは疑ったようなかんじで、あまり話はすすまなかった。しかし、少しずつ話をするうちに、多くの話をしてくださった。 まず、しこ名についてだが、この辺りではあまりしこ名で呼ぶことはなく、「〜さんの田んぼ」というのが多いということで、地図のように数か所しかなかった。もしかすると、内川さんが鶴田に住むようになる以前はあったのかもしれないが、実は、30年前は、鶴田に住んでいたのは内川さんだけだったそうだ。そして、28年の大水害以降、城原川の拡張工事に伴って、川沿いにあった家が少しずつ鶴田にうつってきたということだ。だから何軒たずねても、鶴田のことを知っている人が少なかったのだ。 そして、次に、水路についてたずねた。鶴田が水をひいているのは地図中にある「つった(鶴田)のいび」という所で、川沿いの方向と、それと直角に横武の方へと向かう方向の二つに分かれる。その他の地域の取水口も参考に書いておくと「つったのいび」と橋をはさんで反対側にある「横武のいび」、そして、ずっと下方にある「めおといび」などがあるということだった。 ところが、鶴田の水路は、他の地域と異なり改良が行われていない。それは、現在のように鶴田は住宅地のように思われるので、圃場整備が行われていないからだ。 そのため、去年の渇水には、大変な苦労をされたそうだ。また、この地域の住宅化というのは神埼農高が水田のあとにたったということも、かなり影響しているらしい。 これ以上、鶴田で情報を集められなかったので、山田へ向かい、数軒の家をまわったが、留守や、子供ばかりしかいなく、迷っていたところ、おばさんがいたのでたずねたところ、女の人ではわからないし、男の人はみんな公民館にいるということだった。そこで、公民館へ行こうとしたが、おばさんが行かないほうがいいということを言ったので、山田も調査できなかった。 |