歴史と異文化理解A(服部) レポート S1-14 市川裕昭(944694) S1-14 大庭崇朗(944699) 訪問地・・・唐香原 今回の調査は野田、祇園原を調査するグループと共に、1月22日(日)に行った。 その際、初めに訪れた野田の区長さんである牟田さんには唐香原の区長さんである小川さんに電話をいれてくれたり、家まで車で先導してくれたりなど大変お世話になった。 ◎小川光男さん(区長) 大正9年生まれ 聞き取りの方法:小川さん宅へ訪問 ・しこ名について…知っているしこ名は次の1つだけだった。くつわだ(場所は地図へ記入) また、しいどなどについているしこ名はなかった。 ・現在地…地図へ記入 ・村の水利などについて…村の用水は、圃場整備以前も以後も、日ノ尺池からとっている。また、この用水の受益村は、祇園原、西小路、北小路、柏原、平山の一部である。 次に水争いであるが、旱ばつのときに少しあったとのこと。ここら辺りはほぼ東と西で、尾崎地区と竹地区に分かれていて、この2つの地区間でかるい水争いをしたそうだ。 ・淡水(あお)灌漑について…淡水灌漑地域ではなかった。 ・良田、出来高等について…米が良くとれるような良田、あまりとれない田ん中の差はすべて水によって左右され、水さえあれば、米はよくとれるということだ。出来高は、圃場整備前は反当9〜10俵、戦前は6俵だった。裏作は今はほとんどできる。圃場整備前は、今より少し少ないくらい。 ・今後の日本農業への展望…一言「お先真っ暗」ということでした。 小野正弘さん 昭和12年生まれ 聞き取りの方法:外で立ち話をしていた人に話を聞いた。 しこ名について…小野さんの知っているしこ名をすべて教えてもらったが、どの田ん中がこのしこ名ということまでは分からなかった。しこ名は次のものである。 じんこうだ、げんじゅうた、やまかった、まえだ(家の前の田ん中)、うらた(家の裏の田ん中)、ろくせた、のうしろた、なえしろた ◎そのほかにも、外を歩いている人に尋ねたり、手あたりしだいに家を訪ねてみたりしたが、この2人しかしこ名は知らなかった。 |