歴史と異文化理解A レポート

S1-15 944769  横尾 貴己

 

野寄のあたりでバスから降ろされ、右も左も分からないまま自分達の担当である利田へと向かった。幸い方向はあっていたが、思ったよりも遠く、1km以上歩いてようやくたどりついた。まず手初めに通行人の方に尋ね、自治会長さんの家に向かった。最初出ていらした会長さんの息子さんに尋ねてみたが「田ん中のしこ名」を調査するということであったが、それがどういうものか自分達が良く分からないためうまく伝えることができないでいた。しかしながら話を進めるうちにようやく伝わり、10個程度のしこ名を教えてもらった。どうやら「しこ名」とは、ある農家が自分の家の田ん中つまり田んぼに場所がわかりやすいようにとかどういう場所にあるかなどという理由で、その家で勝手に名づけて呼んでいたものが地区全体で通用するようになったものらしいということが理解できた。会長さんには他にも昔の水の便の話や耕地整理についての話等をしていただき、帰り際には耕地整理前後の利用の地図と会長さんの名刺をいただいた。しこ名がどういうものか分かり、他の人に聞くときに聞き易くなったということもあり、足のしびれもさほど苦にはならなかった。しこ名調査のノルマ数は20個ということで、あと2、3軒まわるだけで充分だろうと思っていたが、その考えは少々甘かった。というのも会長さんは利田の地区の農業のけんいであり、3〜4軒まわっても、「会長さんの知っているぐらいしか分からない」という答えが多かった。ちょうどその日は利田の地区の惣会があるらしく、あまり長い間尋ねると迷惑になるため、なかなか成果はあがらなかった。そこで惣会に出ない人でもの知りだという人の所に行った。さすがもの知りというだけあって、初めは昔のことだからととまどっていたが、2つ3つとしこ名が出てくるとあとはどんどん出てきて、会長さんの所で聞いたものとあわせて結果30個程度になった。さらにまだあるはずだということで、利田の長老という人の所へ案内してもらった。その長老さんは何と91才という高齢で、さすがに耳のほうは遠くはなっていたが、まだまだ元気で、また、書道の達人でもあった。そこのお宅では自分達の出身がどこであるかというような話題になって結構話がはずんだ。自分の出身は長崎で、しかも佐賀に親せきがいるので言葉はだいたい分かったが、もう一人の方は鹿児島だったのであまり良く分からないということだった。その他にも昔の村の祭りとかしきたりだとかについても話してくれた。

どこのお宅でも九大の授業の調査で来たということを言うと快く承諾して下さって質問に応じてくれた。普段年配の方と話をする機会があまり無いために今回の調査は勉強になった。



戻る