「歴史と異文化理解A」

〜佐賀県 現地調査レポート〜

上志波屋 及び 下志波屋

S1-14

944660 石井稔

944663 大西次郎

944668 柏原勇人

944679 中村健吾

はじめに

 我々四人は、中村の車に乗って原地へ向かい、一生懸命調査し、たずねまわった。しかし、区長の不在やたずねたご老人が農業をしていなかったり、知っていたけれども、圃場整備後しこ名をつかっていても、若い人には通じなかったので使わなくなったり、ご老人の方も先生のご推察通りほとんど忘れていらっしゃっいた。その中で、わずかですが調査した結果、及び、過程を後につづけたいと思います。また、四人で調査しましたので四人で1つのレポートを提出することを了承していただくことをお願いいたします。

 

 調査日は1月14日、大西宅にAM9:00集合の予定がAM9:30になり、結局出発はAM10:00となった。前日雪が降ったため、山越えではなく、太宰府方面にう回し、原地へ向かった。途中、渋帯になり、到着したのが正午をまわっていた。

 まず、直接志波屋に向かうのではなく、町役場で情報を得ようと、神埼町役場へ向かった。行く途中、土曜日だと気づき、今日は休みだと思ったが、とりあえず行ってみることにした。

 役場に着き、裏口から入ると用務員さんがいて、用件を話すと、役場で歴史・文化に詳しい人がいらっしゃるとかで、電話をしてくれたが、不在で、結局自治会長の太田さんを紹介してもらった。それで、早速太田さん宅である太田米屋をたずねた。すると太田さんは、各地区の細かい事はあまりご存知でないそうで、今度は櫛田神社の神主さんが古文書など所持されていて、いろいろと詳しい方だという情報を手に入れ、役場の裏にある、櫛田神社へと向かった。神主さん宅へ行くと、やはり直接原地へ行って聞いた方がいいと言われて、結局役場へいったんもどって志波屋の区長さんをたずねた。用務員さんは迷惑がらずに、親切に区長さんが報行静夫さんということをおしえてくれた。

 よし、これで区長さん宅へ行けば、今日の調査は充実したものになるだろうといきごんで車を走らせた。途中でたばこ屋さんで区長さん宅をたずね、行くと、いかにも区長といわんばかりの家だった。お伺いすると静夫さんは不在で、奥さんがでてこられた。お話をきくと、この方は全くしこ名について知らないそうで、夫は夜にならないと帰らないといわれ、昼に在宅されているお年よりの人がいないかきいてみると、吉川栄作さんを紹介され、いってみた。栄作さん宅へ行き、おたずねすると、すでにしこ名というのはお知りでなく、五本松とか一本松とか、現在使われている地名しかご存知でなかった。それからいろいろ回ったが成果があがらず、いったん下志波屋の方で情報を集める事にした。

 泉ミオさんというおばあさんにお会いすることができたが、この人は勤め人だったらしく、農業に関してあまり知らないとのことだった。お隣は知っているときいたので、たずねてはみたがだめだった。いろいろと歩いてたずねたが、下志波屋ではこれ以上情報は得られないと思い、再び上志波町へ向かった。2件、3件とまわっていくうちに、ある老夫婦宅をおとずれた。

我々が得たしこ名については地図に示すとおりでこれ以上の物は入手できなかった。水利については、これもまた地図に書き込んだ通りで昨年の水不足のときも特に水争い等はなかったということだった。また山のふもとに近づくほど水が冷たく平野部よりも多少は収穫が少なかったということだった。

 

 

調査を終えて・・・

 調査に行く前は老人の方だったら誰でも水田のしこ名や水利や収穫などについて知っておられると思っていたが実際はそう簡単にいかず、くわしく知っている方を探すだけで時間を費やしてしまった。一度計画をきちんと立て、もうすこし土地勘のある人と一緒に行けば一番いいのだろうが、そう近場でもないのでなかなか二度も行くこともできないし、この程度しか調べることができなかった。



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