現代社会の構造A レポート

1TE96649 古谷涼士 1TE96667 安井

     指定された場所は、佐賀県背振村小原と神埼町二比山だったが、手違いで、小原と小渕を真違えてしまい、実際今回調査したのは、神埼町小渕になってしまった。(これは後々、小渕の区長である中原さんに指摘されわかったことである)

 

◎神埼町 小渕        古老  中原 厳さん  生年不詳

しこ名 田  しんぐるま 新車                                               ↑聞くのを忘れた

       きょうのくま 京ノ隈

       えのぎだい 桧谷

       やまんぐち 山ノ口

       ううみち 大道

       しいのきやま 椎木山

       はなうら 花浦

       こうふく 幸福

       ひろかど 広門

       くさば 草場

       かわら 川原

       しもがわら 下川原

       やまさき 山崎

       むらんなか 村ノ中

       いしどう 石堂

       つかんまえ 塚ノ前

 

    水路、ホリ  はなうらすいどう 花浦水道

           ばばがわ 馬場川

           とんのいで ?

 

水利については、水を摂取する場所から離れていないし、近くに城原(じょうばる)川という川が流れていて、水量は豊富にあるので、水に困ることはなく、1994年の干ばつの時でも問題はなかったそうだ。

ほとんどのしこ名は先祖が代々からつかってきたもので、その由来はわからない。わかっている由来は墓ノ前でこれは村中や山崎から見て墓ノ前の向こう側に墓地がある。つまり墓地の前にある田んぼなのでそうよぶらしい。

この小渕では前にも書いたとおり、城原川という山から流れてくる川でこの川は水不足であってもとぎれることはなく、そのため、その川から水をとっているので干ばつ時もさほど問題はないらしい。しかし、小渕のもう少し南の方になると水不足は深こくなものになるらしい。小渕の中だけでいうと、京ノ隈、山ノ口、桧谷、椎木山、猫塚、花浦、幸福は高い土地にあるため田んぼそのものも同じ大きさからとれる米の量も多くはないが、その水のつめたさか、その質は非常に良質でおいしい米ができる。それに比べて、草場、川原、下川原、石堂などでは質はおとるが量は多くとれる。しかし、実際は小渕の米は一か所に集められるので、純粋な石堂の米などを手に入れることは不可能である。村と村の境界の区別も役所の人ですら非常にむずかしく、よく誤りがあるようだ。(大問題にはならない)

そしてこれは仁比山でもいえることだが、このあたりでは水車が非常に発達していた。今では僕らが歩いた範囲内では3〜4基しか見ることはできなかったが、7基が現在も回っており、そのうち2基は今でも実際に製粉、精米しているらしい。その2基で精米された米が「かんざき 水車米」として、水車の里で限定品として発売されている。

 

◎神埼町 仁比山       古老  古田則勝  生年昭和4年

しこ名 田  なかこうじ 中小路

       しょうえんうら 硝煙裏

 

    地名  にしだい 西谷

        ひがしだい 東谷

 

 この仁比山は名の通り山の地域であり、山から川が流れてくる。これも城原川と同様とぎれることはない。しかし、小渕よりも一段と高いところにあるので、水が非常につめたい。米も田が少ないのでほとんどとれないと言ってよい。現在米を作っている人は仁比山にはわずか4名しかおらず、畑の方が多い。しかし、その畑も少なく、山いもなど作っているが、売りに出すほどのものではなく作った人がそれぞれの家でたべている状態だそうだ。吉田さんも土地はもっているがそれを人に貸し、その人はやまいもをつくっている。むかしからこういう状態で農業をする人よりも日やといの土方などに出て仕事をする人が多かったらしい。しかし、仁比山には仁比神社九年庵、仁王門という遺跡があり、参拝者もけっこういるらしい。観光開発の話も少しはあるらしいが具体的にはなんの案も出ていない。また、この神社には昔30もの寺があったがキリシタン大名の大友氏の焼き打ちに会った。その時の火薬庫がいまの田(硝煙裏)の前にあったことからこのしこ名がついたといわれている。村の境界は入りくんでいて役所の人でも限定はむずかしい。なお、岩肌にほられたお地ぞうさんがいるが、まったくのなぞである。

 

     当日の行動

当日はバスを降りたのが11時頃で、そこから少し歩いた後とりあえず昼食をとった。そこは、井上製麺工場というところで、そこの社長さんに色々な話を聞いた。古くから神埼町では城原川の豊富な水量で水車を利用した製粉業が主産業となっていて、とくに神埼そうめんは有名だったそうだ。エネルギーを電池に頼るようになる前は、町には水車が5060基ほどあったらしい。井上工場は、唯一製麺業を営んでいる。又、毎年、学生たちが調査にくるが、その調査報告がぜひ見たいとおっしゃっていた。

 それから小原の区長と信じ込んで、教えられた通りに、小渕の区長の家を訪ねて行った。それが終わったとき、2時頃で、今度は、仁比山の古老の吉田さん宅を訪問した。調査が全て終了したのは3時頃で、バス停に着いたのは、約束の時間通りに3時30分だった。ちなみに、遠い所からバスが過ぎ去るのを見た時間は3時20分頃であった。

 4時40分に、JR神埼駅に着いて、6時40分頃に博多駅に着いた。家に着いたのは7時半になっていて相当疲れた1日だった。



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