歴史と異文化理解A 佐賀調査報告書 神埼郡神埼町野寄 S1-15 944730 森 真子 944732 森山 剛 私たちは1月22日(日)六本松から8:30出発のバスに乗り佐賀県にある神埼町という町の野寄という地区に調査に行きました。野寄地区ではこの日はちょうど年に1度予算について報告書をまとめたり話し合ったりする寄合が行われており、私たちは1番最初に訪ねた家の方からこの情報と野寄公民館の場所を教えていただいて、寄合の中にしばらくの間入れていただくことができました。そこには野寄の区長を務める綿島正登さん(1925年生まれ、69歳)をはじめ、彼とほぼ同世代の方々が何人か集まっていて、たいへん親切にお話しをしていただきました。 まず私たちは田ん中のしこ名について地図を見ながら質問をしました。その結果は、地図中に書きこみました。その次にいくつか次のような質問をしました。 Q1 昨年は水不足で何か深刻な問題は起こりませんでしたか? A1 我々の田に引く水は横落水路という所から引いてきているが、ここは枯れることなど決してない。それどころか、昨年は西九州大のふもとにある日之尺池が枯れかけたのでそこに水をかしてあげたぐらいだ。 Q2 昔、このあたりの田は収穫高に大きな差がでたりすることはありましたか。 A2 水がどの田にも行きわたるため、ほぼ均一に米を収穫できたのでそのようなことはなかった。 Q3 化学肥料を使う前、米は田一反当たりどれくらいとれましたか。 A3 よくわからないが40〜50俵くらいだろう。240kg〜300kgということだ。 Q4 昔は裏作として何か作っていましたか? A4 なたね、小麦、大麦 今では小麦とビール用の大麦くらいしか作らない。 Q5 今後の農業の展望はいかがですか。 A5 全く見込みがない。今この地区では13戸が農家であるけど、そのうち1だけを除いて残りすべての家が兼業農家である。 次に私たちは田ん中のしこ名について詳しい方の家を彼らに教えていただいて訪ねてみました。 お名前はお聞きできませんでしたがおばあさん2人のお宅では昔の地形についてたくさんお話をしていただくことができました。おばあさんが小学生の頃には地図に示した所が道であり、遠足もそこを歩いて行ったとのことです。その道はひのくまみちとよばれていたそうですが、今では彼女の家から野寄公民館前までの数100メートルくらいしか残っていません。彼女はまた田ん中のしこ名もいくつか覚えていておしえていただくことができました。しかし、場所は今区画整理が行われて長い年月がたったのでだいたいの位置しかわからないと言っていました。女性に年令を聞くのは大変気が引けましたが、彼女は大正7年生まれ(76歳)とのことです。 次に道端で農作業をしていた73歳の男性にもしこ名についてたずねてみました。彼はあんまり覚えてないと言っていましたが、番号で呼んでいた記憶があると教えて下さいました。例えば「16、2963、2968、69、30169、3012・・・・・・」などだそうです。私たちにはこの番号の意味は分かりませんでしたが、家ではみんなこう呼んでいたそうです。 最後に私たちはお昼休憩を済ませてまた公民館に集合している老人たちを再び訪れて水についてお話ししていただきました。昨年ですら枯れ知らずであった横落水路をいつまでも利用していきたいとのことです。 今回の調査で調べた事はほんの少しだけでしたが、村人の親切さとのどかな田園風景に触れ、忙しく歩きまわったことはよい経験になったと思います。私たちが工学部の学生であることを言った時、「農業はもうダメや」と言っていた一人の老人が「工場の下見に来たんじゃあないだろうね。」と少し不安そうにつぶやいたのは農業をしながらの今の生活が好きだからだなと思いました。福岡市ではこんな風景はもう見られないだろうと思いますが、日本の国の中にこのような場所が残っていてほしいなと思いました。 |