調査者:田鍋 義博 1TE96852■ 古野 健一 1TE96861■ 調査地:佐賀県神埼郡神埼町大字本告牟田小字本告牟田 小字莞牟田 古老〈本告牟田〉 江口 昌治 大田 峯雄 牟田 静一 (大正12) (大正10) 〈莞牟田〉 内田 芳之介 (大正8) しこ名〈本告牟田〉 ちょうじゃびゃーし じゅうぞうじ (注1)きれでい にしこが けいすみ さんご どいやしき にいだばし いちのつぼ おてじん みやのうら こが みずなが ひのつめ おくのうら かんだ みやどなり 〈城〉本告城 注1「きれでい」の由来 近くの川が大雨などによって水かさが増し、堤防がたびたび壊れていたためにこの名がついた。「切泥」と書く。 しこ名〈莞牟田〉 みやのうら すみた にしこが ごんげん 〈聞取の方法〉 私たちの班は、7月18日(木)に調査を行ったが、あいにくこの日は、非常に強いといわれていた台風が佐賀県地方に接近していたため、どの家を訪ねても、台風に対する準備でいそがしく、なかなか話をしてもらえなかった。各家々を回りながら、ほとんどあきらめていたときに、江口昌治(75)さんに話をしてもらうことができた。江口さんは以前、土地改良区画長をしておられたので、「しこ名」について詳しかった。また、莞牟田は、「しこ名」に詳しい古老がなかなか見つからなかったので、あまり成果があがらなかった。 〈村の行事〉 本告牟田地区には、昔、本告城という城があった。その城の城主が家来の反乱にあい、逃げ出したが、城の近くの伸種社というところで殺された。その城主の乗っていた白馬は逃げたが、池辺田で殺された。それを祭って、今では、城主の殺された8月18日には、村の人たちが仮装などをして、池辺田まで歩き、翌19日には馬の殺されたところで、祭りが行われるらしい。 ☆地図中に若宮神社というのがあるが、これは昔は「おてじん」にあったらしいが、土地改良で現在の場所に移されたらしい。 〈問題点〉 僕たちが調査に行くと、村の古老たちは、「九大生は去年も、その前の年も来た」「学校に、去年の資料が残っていないのか」と怒っていた。神埼町は、以前に他の大学も調査に来ており、その時に資料を全部渡してしまって、もうないと言われた。 |