【神埼郡神埼町迎田】

神埼町迎田 現地調査レポート

SI14 944708 篠原 靖周

944704 小井手 隆

 

今回私はペアの小井手君と神埼町の迎田という部落を調査した。迎田へは私の家の乗用車で行った。まずここで述べておかなければならないことがある。それは迎田にはたった4戸しか家がなく、しかも昔の話を知っている古老の方がすべて亡くなっていて、調査が非常に難航したということである。しかしながらそれでもわずかではあるが「しこ名」が聞けたのは不幸中の幸いであった。このわずかな「しこ名」を地図に書き込んだ。

(地図記載「しこ名」追記:原本は佐賀県立図書館所蔵)

・しみずぼり

・もいだ

・べんじゃさん

・墓

・一本黒木

・矢通し

 

今回の調査では「しこ名」はあまり聞けなかったが、多くの人々への聞き込み調査の結果、それ以外の話を聞くことができた。我々が多くの話を聞くことができたのは「尾崎東分集落センター」という所で、小さな公民館といったような建物であった。そこにいた方々(おおよそ6070才)が、会合中であったにも関らず快く我々の質問に応じてくれた。以下にその質問と応答を記す。なお、以下の応答では書き言葉を用いている。

 

Q、この部落の水利はどのようになっていますか。

A、水は北方の背振山からの水で、岩田、日野尺からの水を使用している。

Q、昔、水争いはありましたか。また、その争いをした村の名前を知っていますか。

A、昔は争いもあったらしいが、近頃では機械化が進んでいて争いは全くない。水争いがあったのはだいぶ昔のことなので村の名前までは分からない。

Q、昨年の水不足では何か特別なことをしましたか。

A、横落川(部落の南方を東西に走る川)からは、水は揚げられないということになっていたが、昨年は非常事態のため一晩(6PM〜6AM)で約1万トンの水を横落川から揚げた。

Q、淡水の取り方について教えて下さい。

A、淡水は我々の部落では関係ない。

Q、米のよくとれる良田とあまりとれない田の差はどれくらいですか。

A、今はもう差はない。戦前で反当り6俵半、10年前で8俵〜9俵ぐらい。ただ昨年は、水不足により水が届きにくい田と水が届く田で多少の差はあった。

Q、村の範囲とか大きさを教えて下さい。

A、この辺は、昔は西郷地区と呼ばれていて宅地込みで80haだった。今はこの辺は尾崎東分と呼ばれ、井田、迎田、祇園原、土生(はぶ)の部落で構成されていて、70haぐらい。

Q、裏作について教えて下さい。

A、裏作はだいたい麦を作っている。その他なすびなども作っている者もいる。今では裏作のできない所はない。

Q、肥料はどのようなものを使用していますか。

A、肥料は化成のものがほとんど。

Q、最後に、今後の日本農業への展望を聞かせて下さい。

A、はっきり言って将来のことは期待していない。切捨御免もある。最近は減反強化とか言っているし。村の若い者は全部出稼ぎに行ってしまい、残ったのは年寄りばかり。10年後には全く働き手がなくなるかもしれない。息子たちも普段は出稼ぎで土日に帰って来るぐらいだし。結局は大規模経営の所にお願いするようになっていくんじゃないだろうか。さっき期待していないと言ったが、それはこの労働力不足というのが大きいね。しかもやっぱり儲けはほとんどないし。今だいたい米1反(1a)あたりで10万、裏作の麦が2万ぐらい。これではやはり苦しいよ。コンバインだって500万するし、トラクターも200万ぐらいはするしね。だから今はこういう機械類を共同で持つことが多い。まぁいずれにしても将来にはあまり期待は持っていないということだ。これからは兼業農家じゃないとなかなかやっていけん。

 

 以上が集落センターでの質問とその応答である。なお、この質問をする前に当然「しこ名」についても尋ねたが、やはり知らないとのことだった。ここで我々の質問に応じてくれた方のお名前を挙げておく。

江口ひさやさん(大正1211月生72才 区長)

江口さんの奥さんとその仲間の方々(6070才)3名

集落センターの方々(6070才)6名

山崎辰男さん(70才ぐらい)

柳川俊二さんの奥さん(60才ぐらい)

園田秀雄さんの奥さん(60才ぐらい)

柳川芳和さんの奥さん(30才ぐらい)

上滝清さん宅のおばあさん(65才)

園田正好さん宅のおばあさん(60才ぐらい)

以上の他にも多数の方々が協力してくれたことを述べておく。



戻る