歴史と異文化理解A

「田ん中のしこ名調査レポート」

調査日8月5日

提出8月5日

     調査の過程

まずJRで鳥栖へ行き乗りかえて神埼駅に着いた。とりあえず、三谷、狸原、神ノ隈、野々内のなかで、三谷へ行くことにし、駅の近くの店で行き方を尋ねた。バスは料金が高く、途中までしか行かないため、タクシーで行った。

 

三谷あたりに着いて、近くの家を尋ね、詳しい人を探して4軒目にようやく宮地喜市さんという75歳の古老に出会った。その人に知っている範囲でいろいろと教えてもらい、次に区長の福成政則さんの家をたずねて行ったが、留守で、会うことはできなかった。

 

帰りは途中で訪ねた家にもう一度行って電話を借り、タクシーで駅へ行ってから帰った。

 

 

“現地調査レポート”

 

調査員:梅田靖郎 1TE96799

    川野耕平 1TE96805

    深見浩司 1TE96821

    塩見洋平 1TE96807

 

調査地:三谷、狸原

 

(1)   しこ名についての調査

訪ねた相手・・・宮地喜市さん(生年月日:大正11年生まれ)

荒谷(あらたに)

前山(まえやま)

宮地さんは

漢字で書いてくれた。

 
林の前=(むかえ)

山副(やまぞえ)

荒毛(あらげ)

仏塚(ほとけつか)

 

大きな水田のことをうーぜまちというらしい。

                                                     (大瀬)

宮地さんに調査した当初、“しこ名”という名称は通じなかった。田んぼ(田ん中と宮地さんは言っていた。)の昔から呼ばれている名まえだと説明しても分からない様子だったので、マニュアルを宮地さんに見せたところ、マニュアルの中に出てくる具体的なしこ名の例を見て、“しこ名”の意味を分かってくれた。宮地さんたちは“あだ名”と呼んでいた。

 

 

(2)おととしの大干ばつをどう乗り切ったかについての調査

宮地さんの持っている水田は、水頭(高度が比較的高い所)だったので、被害は少なかったようである。川の水を得ている水田も大丈夫だったらしいが、湧水を利用している水田は、被害は大きかったようである。

 

 

(3)台風の被害についての調査

平野部では南風の強風により稲に被害があるが、三谷の地域ではそれに加えて渦を巻く強風で、平野部の被害よりも大きく被害を受けるそうである。

 

 

(4)収穫量についての調査

日照時間は、平野部の70%〜80%しかない。朝日は当たるが、日中や西日は当たりにくい。その結果、稲が弱く、病害虫や、台風の被害も大きいらしい。現在、収穫高は7俵〜8俵である。

 

 

(5)戦前の収穫高についての調査

肥料、農薬がほとんどなく現在とは比べものにならない位、少なかったらしい。正確なデータは残念ながら、宮地さん及び他の人たちにも記憶されてないようであった。



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