歴史と異文化理解A レポート “佐賀県神埼町川寄に於けるしこ名と水利慣行調査” S1-14 944676 西郷和隆 944677 島崎修 8:15 集合場所になっている六本松キャンパス玄関前に集合する。見知らぬ土地へ行き、いきなり訪ねて、自分達の目的に達成できるのか多少の不安がある。 8:35 予定より5分ほど遅れて出発。まだ遠足気分でわくわくしているが、授業中に配布されたプリントを読みなおし、今日自分達がやらなければならない事、尋ねたい事などを再確認する。 10:05 そろそろ最初の組が下ろされると聞き、乗る前にもらったプリントでバスの位置と自分達の調べる地区を確認する。 10:15 いよいよ自分達の番である。バスを降りた途端、コンビニエンスストアーを見つけ、民家もけっこうあったので少しほっとする。まず、自分達の調べる川寄には住宅地のまん中に神社があるので、そこを中心として調べることにした。あわよくばその神社が大きくて、神主さんがいて、話をきけたらいいなあと思っていた。 10:25 神社到着。案の定鳥居と本殿、公民館があるだけで、人気はなかった。そこで、すぐ隣の家で区長さん宅を尋ねることにする。家の方には誰もいないようだったので、次の家に行こうとすると、軽トラックに乗った方が帰ってこられた。区長さん宅を尋ねると、通りまで出て指さして教えてくれた。親切な方だった。 10:30 区長さん宅を訪れる。そしてまたここで行きづまる。お嫁さんと思われる方が出てきて「今、買い物に出かけました。11:30ぐらいには帰ってくると思いますけど」とおっしゃった。そこで、どうしてよいか分からず、二人で相談する。とにかく、区長さんが帰っていらっしゃるまで少しでも調べておこうと、裏の家をたずねる。何軒かたずねるが、御主人がいらっしゃらなかったり、買い物に出かけられていたりで話をきけなかった。雨が降っていたので皆さん家にいらっしゃると思っていたが、あまかった。 10:45 たずねて回って3軒目でようやく話を聞けた。その方の話ではうっすらと憶えているけど、区長さん宅に昔の地図があるので、それを見ればはっきりするということだった。そこで、しこ名は区長さん宅で聞くことにして、世間話風にいろいろ話を聞いた。まず、「そういうしこ名は若い方は使われないんですか。」と聞くと、「若い人は田んぼにも出てこないし、農業をやっている者なんていないよ。私が若い方から二番目くらいだし。」と50代くらいの方がおっしゃった。普段から農業は後継者不足だとは新聞やTVで見たり聞いたりして知っていたが、当事者から水不足の話を聞くと妙に現実味を帯びてきた。その後昨年の水不足の話を聞くと、このあたりは川寄という地名からも分かるとおり、城原川のほとりにあるから、水不足になるようなことは一切なかったということだった。とにかく区長さんの宅の地図を見て、またお伺いするということで、その家を後にした。家を出る前にコーヒーをごちそうになった。 11:15 区長さんが戻ってこられるまでまだ時間があったので、バスを下りたところにあったコンビニエンスストアーで、持ってきた地図を拡大コピーする。 11:30 再び区長さん宅を訪れると、戻ってきていらっしゃった。自分達の目的をお話しすると、「まあ上がりなさい」とおっしゃって区画整理前の地図を見せてくださった。そこには、川寄地区の大字竹字若宮、字吉原、字島原、字屋形だけしか記されていなかった。そこでまず、その境目がどこになるのか、自分達の地図とそこの地図で見比べて特定することから始めた。それが、水路の位置や道が微妙に違っていて、区長さんの記憶と自分達の持って行った地図で苦労しながらも特定することができた。そして次にしこ名について尋ねる。最初は自分達の聞きたいことが分からなかったらしくて「昔の名前っていったって、この4つしかしらないなあ。」とおっしゃっていた。区長さんが分からなかったら、また最初から調べなおしだなあ。今日中に終わるかなあとまた、二人で顔を見合わせながら不安になった。そうこうして世間話をしているうちに、「そういえばこのあたりは神社の前だから宮前(みやんまえ)って言ってたなあ」とおっしゃった。これはと思い、次々に尋ねると、どんどん名前が出てきた。出てきた名前は地図に書いているとおりである。おまけに、城原川からの水の取り入れ口(“のごし”というそうだ)まで、教えていただいた。それに、中にはどうしてそんな名前がついたのか分からないものもあったが、地形的にかどにあるとかつきあたりにあるから“つんどまり”とか見ただけでわかる名前とか、近くにお城があったらしくてそこの入り口で、弓や鉄砲をかまえたから“かまえ口”とかおもしろいものも多くあった。その中でもおもしろかったのは、このあたりの人もやはり遊郭にあこがれがあったらしくてその名前を字名につけていたということだった。ここでも水不足の時について尋ねたが、このあたりは城原川から水をひいていて城原川から水をひいているのは八子などでもひいているが、八子のあたりは田んぼが少ないので川寄は水に困ったり、困って他の地区と争ったりすることはなかったということだった。そこで、水が豊かなのだから、さぞかし豊かな土地で米もたくさんとれたのだろうと思って尋ねると、逆に水が多すぎて排水のうまくいかない土地では水が腰ぐらいまであって特に“深田”と呼ばれる田んぼでは反2俵ぐらいしかとれず、麦なども作れなかったそうだ。それに比べ“上田”、“平木”と呼ばれる田んぼは、水のはけもよく反7俵ぐらいとれた上に麦も作れたということだった。その収穫差をなくす為にも区画整理を行い、排水がうまくいくようにしたのだが、やはり多少の差はあるようだ。その後、そういえばということで、明治時代の作付帳みたいなものを見せてもらったが、草書で書かれているらしくて、何が書いてあるのか分からなかった。話に熱中していて時間を気にしていなかったが、かなり長い時間話してくださって、途中では、お茶、コーヒー、おかしなどもごちそうになった。帰りにはもっと調べるのならこの地図も貸しますよとか、これを持っていきなさいとおかしもいただいた。 13:30 ある程度いろいろな話を聞けたので、神社で昼食休憩をとる。 14:10 もう少し付け足すことがあるのではないかと思い、最初に話を聞いたお宅に伺う。(後で分かったのだがそこは農業生産組合長さんのお宅であった)そこでは、先ほどお話しを聞いた方のお父さんがいらっしゃって区長さん宅で調べた地図をお見せしたのだが、ほとんどこの通りで付け足すことはないなあとも、この道は太宰府に通じていて公家さんがよく通っていたから、“おはぐろの道”と呼んでいたとか、住宅街の中にもちょっと名前がついていたとか言ってお教えいただいた。結果は地図に記したとおりである。 14:25 ある程度の話を聞けたのでバスがくるところまで行ってバスを待つことにする。本当にみなさん良い方ばかりで快く話をお聞きすることができて、帰る時はやはり地方にくると何か心あたたまるような気がすると二人で話ながら歩いた。 15:50 バスが遅れていたので、もしかしておいていかれたのではないかと心配していたが、バスが来てほっとした。バスの中で他の組の人の話をきくと、あまり話をきけなかったという人が多かった。本当に川寄地区の方に感謝するばかりである。 最後にお世話になった方の名前を記して終わりにしようと思う。 区長 福井 栄次郎 さん T15生 佐藤 源吾 さん T4生 地図の説明(佐賀県立図書館所蔵) 赤・・・福井さんから 黒・・・佐藤さんから 青・・・水の取り入れ口(のごし) ピンク・・・字名 |