「歴史と異文化理解A」

〜佐賀県現地調査レポート〜

柏原北小路 及び 西小路

 

S1-14

944686  藤野 俊自

944687  松木 文悟

944688  松波 亮樹

944701  川越 孝宏

はじめに

 我々は佐賀県に行って一生懸命に調査し歩きまわった。しかし、しこ名に関する情報はほとんど得ることが出来なかった。よってこのレポートは教授の求めるものとは多少異なるとは思いますが、我々の旅の記録を書きたいと思います。そしてどうか我々の努力をわかってもらえますよう心より願っております。

 また、我々は2つの組で割りあてられておりましたが、4人で1つのレポートとなりましたことをここでお詫び申し上げまた了承していただくよう心よりお願いいたします。

 

1月14日(土) 晴れときどき雪

 我々4人は車で柏原を目指して朝9時に出発した。そしていきなり最初の関門“渋滞”にまきこまれてしまった。なかなか進まない車にイライラしつつも途中でコンビニに寄っておにぎりを買ってそれを食べながらまずどこを尋ねるか話しあった。そして神埼町庁舎を尋ねるということにきまった。

 しかしこの“渋滞”はなかなかしつこくて佐賀県に入るころにはすでに正午になろうといていた。

なんとか神埼町庁舎を見つけ出してたどりついたもののなんと休みであった。我々は茫然としつつも裏の方にまわって警備の人に話をきいてみた。事情を説明するとその方は地区会長の太田さんの家を教えてくれた。

 太田さんに話をうかがおうとするが仕事がいそがしそうであまり相手にされなかった。しかしそれにもめげず話をきこうとする我々に太田さんは「昔の事は櫛田宮の神主さんがくわしい」と教えてくれた。さっそく櫛田宮まで行ってみたが神主さんの所にはどうやら客人がみえられていて話を聞くことができなかった。しかたないのであきらめてとりあえず現地まで行くことにした。庁舎にもどって柏原までの道を教えてもらって出発した。(その頃にはすでに1時をまわっていた。)道を教えてはもらったものの何度か道を間違えてしまい時間をかなりつかってしまった。なんとかたどりついてこの地区の区長さんである瓦さんの家を探した。が、いくらさがしても瓦さんの家は見つからず、近くの家の人に「区長さんの家を教えて下さい」と言っておしえてもらいその家をたずねた。しかし、その家の表札には“岡”と書かれていた。おかしいと思いつつもインターホンをおしたが留守であった。しかたないので老人の住む家を見つけてその人から話をきいていた時、ふと気がついた。何と我々は柏原ではなく利田にきていたのだった。気をとりなおしてもう一度柏原に向かった。そして本当に柏原についたのは3時をまわる頃だった。

 柏原についてすぐに「柏原集落センター」というものを見つけたのでとりあえずたずねてみた。が、誰もいなかった。

 あきらめて区長の瓦さんの家をさがしだしてたずねたがやはりここも留守であった。しかたないので、手当たり次第家々をたずねたが、民家が少ない上、この日はほとんどの家が留守にしていた。ようやく一人の老人の住む家を見つけだして話をきくことができた。しかし、そのおばあさんは別の場所から柏原に嫁いできたのでしこ名のことなど全く知らないそうだった。がっかりしている我々をかわいそうに思ったのか、そのおばあちゃんは前の区長さんである増田さんを紹介してくれた。そして、その人に会えたのが4時頃であった。我々のメンバーの中にどうしても行かねばならない用事があるものがいて、5時前にはそこを去らねばならなかった。時間がない。我々はあせりつつもその人に話をきかせていただいた。以下我々が増田さんに聞いた話を記述する。

 

     しこ名について

増「しこ名というのはないなー」

我「では田んぼのことは何とよんでいたんですか」

増「〜さん家の広いの、とか北のとか呼んでたな」

我「特定の呼び名はなかったんですか」

増「あの田んぼは十四とか何とか言っとったような気がするな」

我「他には?」

増「あとはこれが十八でそうそうここを10の割のいで、ここを8の割のいでと呼んどった。あとはわからんのー」

我「ありがとうございます。では田んぼによる出来高のちがいはないですか。」

増「今はほとんどかわりないが、圃場整備以前にはひのくま線ぞいの出来があまりよくなかった。」

我「何故でしょう」

増「あそこらへんは火山灰の大地だったからね。」

 

     水利関係について

我「今年は水不足ですが何か対策をこうじましたか。」

増「横内水路からポンプで水を上へ上へと運びました。」

我「水といえば、この地区では水争いなどありましたか。」

増「30年くらい前、岩田部落が水路の分岐点をコンクリートでうめたてたために、ひのしやくためいけがかりのとの間でいざこざがあった。」

我「どちらが勝ちましたか。」

増「けっきょくコンクリートはそのままだから岩田部落かな」

我「どうもありがとうございました。」

 

協力していただいた方々

・柏原のおばあちゃん・・・・・・迎 てる  大正2年生まれ

・柏原の前の区長さん・・・・・・増田 さとる  昭和9年生まれ

 

     感想

     我々がいった日がわるかったのか、留守の家が多かった。

     寒くてあまり長い間話がきけなかった。

     しこ名のことを知っている人がほとんどいなかった



戻る