【神埼郡神埼町横武上六丁、下六丁】(4) S1-15 944728 松岡 靖明
今回のしこ名を調べていく調査で、私たちは、まず下六丁の方から調査をはじめた。しかし、下六丁には若い人が多く、いろいろな家を訪ねていったが、しこ名を知っている人は全くいなかった。だから、私たちは区長さんの平山九州男さんを訪ねてみた。すると、区長さんは、のどの調子が悪く、あまり詳しいことまでは聞くことができなかったが、いくつかのしこ名を教えて下さった。それは次の通りである。 その後私たちは調査をしていたが、これ以上のことは分からなかったので、上六丁の方を調査してみた。 上六丁では酒屋があったので、まず、そこを訪ねてみた。するとお婆さんたちが5〜6人いらっしゃったが、誰一人知っている人はいなかった。そして私たちは通りがかりの人などに尋ねてみたが、情報を集めることが出来なかった。そして何軒かの家を訪ねていくうちに、偶然、上六丁の区長さんの貞島庚夫さんの家にたどりついた。すると、しこ名についていろいろと教えてくれた。それは次の通りである。
その他にもいろいろなことを教えてくれた。 上六丁は昔、現在よりも多くのクリークがあり家々の庭先まで入り江となっていたそうだ。そのため、それぞれの集落は島となっており、移動するのに舟を使っていたということであった。また、上六丁には、昔、とび地という土地が存在していたが、農地整備でそのとび地はなくなり、クリークは減少していった。しかし、そのなくなったとび地は、売却したという形になり、そのお金で減少した面積分だけ別の土地を買い、区画をまとめたということだった。また、クリークについても話された。昔、クリークは、水がたまったままで、衛生上悪影響を及ぼすので、毎年1月に、水の入れかえをしていたらしい。現在では、ポンプで水の入れかえをしているそうだ。 最後に、今回の調査でわかったことは、しこ名を知っている人が非常に少なく、特に女性の方はほとんど知らなかった。しかし、男性の方は詳しく知っており、いろいろな情報を収集できてよかった。 |