【神埼郡神埼町横武下六丁、上六丁】(2)

  S1-15  944763  松本和也

 私は下六丁の担当であった。しかし下六丁の方のしこ名を知っている人は少なく、友人といっしょに上六丁も調べることにした。

 まず下六丁では区長の平山九州男さんを尋ねた。しこ名を尋ねたが、かぜをひいていたのか、声がよく聞きとれなく苦労した。わかったしこ名は、やなごう、しまげ、しょういちい、いぇばた、おおえの5つだった。

     やなごう――昔城があった所

     しまげ――昔寺があった所

この2つについて上のように説明をしてくださった。またしこ名ではないが、この辺りに若宮神社という神社が3040年前まであり、そこには豊臣秀吉が朝鮮出兵のとき、死者のための慰霊碑があると話をされた。

 次に上六丁だが、ここでは区長の貞島庚夫さんに話を聞いた。私たちはしこ名を尋ねたが、貞島さんが知っている名がしこ名かどうかがわからないが、それでよければ、教えるとおっしゃった。わかった名前は、でいうえ、なかでい、でいばたやしき、きたんうら、ゆんやしき、きたんやしき、じゅうさんきんど、じぞうさんのまえ、みないやしき、ひゃあまき、しんじゃぼいの11つだった。また、それぞれのしこ名についても説明された。

     やなごう――昔城があり、碑があり、圃場整備で邪魔になったが、そういうものを移動するとバチがあたるということで、そのままにされている。

     きたんむら――村の北側にあったから。

     みないやしき――昔、大きな家があったらしい。

     ひゃあまき――昔、灰巻という人が住んでいた。

    

――その近くに堤防があった。

 
なかでぇ

     でぇうえ

     でぇばたやしき――堤防の近くに屋敷があった。

 

 貞島さんはしこ名のことだけでなく、色々なことを話してくださった。上六丁では昔からクリークが多くあり、家が島のようになっていたので舟で移動していた。庭先が入り江になっていて洪水のときは大変だった。圃場整備でクリークの数が減少し、村の離れた所にあった飛地がなくなった。飛地は、そこに近い地区が買い取り、その代金で上六丁も土地を買ったり、土地の税金にあてたりしたという。圃場整備で村の範囲は長方形のようになった。またクリークについても話された。昔、洪水のときはクリークの水を外へ追い出すのに苦労されたが、今はポンプを使って、城原川に吸い出している。クリークは水の流れが少なく、水がたまったままになり、水がきれいでなく、衛生的にもよくないので、水が少ない1月に、クリークを掘り起こして、底にたまっている泥を取り除く。このような話をされた。

 最後に、この調査を通して、感じたことは、しこ名を知っている人が少ないということだ。特に女性の方はほとんど知らなく、しこ名という言葉さえ知らない人もいた。もしかすると、私たちの尋ね方が悪かったのかもしれない。見知らぬ私たちが来て、警戒されたのかもしれない。しかし、それなりの結果は得られて、よかったと思う。



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