S1-18 944918 松浦 豊 松本英治 本告牟田、莞牟田内の一本杉、二本杉 〔聞き取り方法〕 村の近くまで行き近所の人にまず公民館の場所をたずねた。しかし公民館が存在しておらず、別の人にこの辺の区長さんをたずねた。この辺は家の数が少なく区長さんの家もすぐみつかった。また運よく区長さんも家におり、話をしてくれた。区長さんは親切にも近くの集合所をあけてくれてそこでストーブをつけてくれて話をはじめた。 〔内容〕 取材協力者 江口 昌治(74) 大正10年生 区長歴4年 江口さんによると田ん中のしこ名は現在はほとんど使っておらずまた使っていたのも江口さんよりもさらに前の代ということでどこにどんなしこ名がついていたかよくわからないとのことだった。覚えていたしこ名だけを書いておく。 〔たちのうち、けいすみ、じゅうぞうじ、ちょうじゃびやし〕 ↑お城のあと ↑殿様がここで殺された この付近一本杉には昔もとほり城というお城があったそうです。たんなかのしこ名についてはこれ以上聞けなかったので別のことをいろいろと聞いてみました。 ほりのしこ名:にしこが、けいすい、どうやしき 水源:城原川 水争い:昔は水争いは多くあり近くの村のどことでも戦っていたそうです。特に川上のほうの「にいやま」というところと争っていたそうです。村の男たち何人かで夜中の1時2時ごろに出かけ水を止めているせきをやぶりにいき、何度か逆にやられてボコボコになったこともあるそうです。 1994年の干ばつによる水不足は全く関係なかったそうです。城原川からの水だけで何とかなってこの場所は助かったそうです。しかしこの付近一帯全部が助かったわけでもなく場所によっては被害を受けた所も多くあるそうでたまたまここは運がよかったというわけです。 この村で米のとれ高の差というものはあまりないそうだがてつどうという場所から上の地区はもち米の質が良く多くとれるが下の地区ではもち米のねばりがなくあまり取れないそうだ。つくる米はよその村は大体4〜5丁だがこの村は3丁と少しで1つの家に農業をする人が3〜4人いればまあまあの暮らしはできる。裏作はずっと麦を作っているそうです。最近では新しくたん中をはじめる人はいなく農業だけで暮らす人もほとんどいないそうです。皆出かせぎに行き、若い人はほとんどが出かせぎにでているそうです。 話を聞いての感想 一番の目的であるしこ名についてはあまり聞けなかったが、その他のことをずっとはなしてくれた。この地に行ってみてとにかく田ん中が多くて辺り一面に広がっていた。しかし話の中にもあったように、田ん中をはじめる人はいなく農業に関わる人も少なくなっている。若い人も時代の流れからか、農業を継がず村を出ていっている。これとあわせて外国からの食料品の輸入などによって農家の生活はますます苦しくなってきている。自分で食べるものは自分で作るのがあたり前なのだから自分の国の食べ物は自分の国で作るべきである。今後の農家の生活も考えて日本の農業の在り方をも1度見なおしていかなければいけないと感じた。 |