調査した学生

S2-12 笹井幸一郎 1TE95763T

S2-10 中原 英雄 1TE95460K

 

しこ名一覧(1223調査分)

教えてもらった人

村の名前

しこ名

大田トキさん

(昭和3年生まれ)

※大田峯雄さんの奥さん

本告牟田

宮ノ裏、寺ノ裏、オクノウラ、館のウシ(タチノウシ)、オテジン、ニシコガ、ダンナンサン屋敷、慶寸(ケイスン)、サンゴ、一の坪(イチノツボ)、長者林(チョウダビヤーシ)、角田(スミタ)

夫婦井樋

キレデイ、十造寺(ジュウゾウジ)

牟田静一さん

(大正2年生まれ)

本告牟田

サノツボ、ショウヨウダ

 

シャーケ

牟田菊次さん

莞牟田

牟田田(ムタダ)、カワソボリ、テラウラ、ハタカイ、サンゴ、中屋敷(ナカンヤシキ)、宮ノ裏(ミヤノウラ)、ハタケバタ、南田(ミナミダ)、権現(ゴンゲン)、三十六、よこで

本告牟田

カモダ

 

 

歩き、見、ふれる歴史学レポート 1223現地調査

1TE95460■ 中原英雄、1TE95763 笹井幸一郎〕

・現地調査の目的

前回の人が調査して得たしこ名を地図に正確に落として行こう。

当日の行動記録

バスで現地近くに到着

まず本告牟田について調べる事にして、古い家の密集している所に向かった。

訪ねて2軒目の家で、大田峯雄さんの家を見つける事ができたけど、峯雄さんが留守だったので奥さんのトキさんに話をうかがった。

トキさんはあまりシコ名について覚えていないとおっしゃったが、こっちがシコ名を挙げていくと、「この辺じゃなかったかな」と場所を指してくれた。

又、シコ名は昭和57年に補助整備が行われる以前まで、自分達の所有している田んぼの呼び名として使用していたので、他の人の田んぼまではよくわからないとの事であった。(夫の峯雄さんの方がくわしいとの事だった。)

シコ名の内の1つのオテジンというのは、オテジンさんという神社に祭っていた神さまからきていて、そのオテジンさんは、補助整備のとき若宮神社に方に移したとの事だった。トキさんが牟田静一さんの方が詳しいのではないかとおっしゃったので、牟田さんの家の方に向かった。

牟田静一(しずいち)さん(大正2年生)の家を訪ねて、お話をうかがったけど、静一さんは、「昨年も来たけどシコ名についてはよく覚えてない」とおっしゃったので、「自分の田んぼの事だけでもいいですので」といって何コかの位置を教えていただいた。

又、昔城原の山の城を佐賀の殿様が攻め落とそうとしたけど、なかなか落ちずに、城原の殿様と佐賀の殿様の間でのいくさが、この上(川上の付近)であったという話もしていただいた。

一応本告牟田に関してはこのぐらいにして、次に莞牟田の方に向かった。

2軒目で区長さんの石橋秀夫さんの家を訪ねたけど、「シコ名についてはよく覚えとらんもっと年寄の人に聞いてみい」と言われたので、他の人に当たってみる事にした。

やっと牟田菊次さんという人(年齢はわかりませんでした)に教えてもらう事ができたけど、菊次さんもやはりシコ名は余り覚えていないとの事で、こっちの資料にあるしこなをあげると、この辺だったろうという事で場所を示してくださった

本告牟田に比べると、莞牟田ではあまり多く調べる事ができなかった。

莞牟田と本告牟田の真ん中より莞牟田寄りにあったけっこう大きな用水路は、補助整備の後に出来たものとの事だった。

帰りのバスの時間より早く調査が終了したので、地元の交通機関を利用して帰宅した。

 

調査を行ってみての考察、感想

いろんな人に話を聞いてみて、共通して出てきたのは「よう覚えとらん」という言葉だった。やっぱり1415年前の事なのではっきり覚えている人はいなかったけど、こちら側が前回までに得たシコ名を挙げると、知っている分に関しては親切に教えてくださった。シコ名の中には、お寺の裏だからテラノウラとか、神社の裏だからミヤノウラとか、名の由来がわかるのもあったけど、何故そういう呼び方をしているのかわからないものも多かった。又、自分の田んぼについてしかよくわからないという人が多かった。

でも僕達がシコ名について教えて下さいとお願いしたら、一生懸命想い出そうとしてくれて、とても嬉しく思った。休日だったせいもあるのかもしれないけど、人気があまりなくて、あんまり外に出ている人もいなかった。



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