【神埼郡神埼町大字的右原、小渕】

S1-18 944914  藤村 崇保

まず、的(いくわ)の中の家を訪ねると区長を尋ねなさいと言われたがその日の朝にその部落で人が亡くなっており、区長は通夜や葬式の準備があって忙しそうなので尋ねられなかった。(区長の名前は高尾。)

次に南下して右原で人に尋ねられると区長に聞けといわれ、探す。公民館にいることをつきとめ、公民館に行くと区長(牟田十四郎)と他6人の町民に話を聞くことができた。

テキスト ボックス: 〈しこ名〉・ちいじ ・くちなしや ・ごただ(由来:その田んぼは、その頃にはめずらしく五反あったので五反田(ごただ)と呼ばれた。)

?今仁比山小学校のある所(祇園町)には、昔、祇園神社があった(今、仁比山神社に移された。)ところは祇園うらと呼ばれていた。小学校うらと呼ばれているそうだ。又、一本松乙のところを「ちいじ」と呼んでいたらしい。

 

テキスト ボックス: 〈水源〉二比山村全体が城原川から農業用水を引いており、去年の水不足の折は、城原川の水源はとても深いため全く影響はなく、逆に貯水そうにあふれかえってこまるほどあったそうだ。城原川は後で筑後川と合流する。

いぜきには名前はついていなかったと言われた。

 

次に北上し、小渕の区長(松本)さんを尋ねたが、農業に従事してなく、比較的若く80才くらいの松本武さんを尋ねろと言われた。松本さんによるとその辺りにはしこ名はついていなかったと言われた。昔から今の地図の十本黒木、中小路などが田んぼの最小単位としてついていたそうだ。そのかわり、地域の昔の名をおしえてもらった。

こうふく(幸福?)、くさば、いしどう、しんぐるま(新車)、いしのきやま

 

山のほうにいくと、自分の家の周りの田んぼを耕している人は少なく、生産組合長の亀川さんを尋ねたところ、今の地図は見せてもらえたが、圃場整備前のことはわからなかった。そこで圃場整備に関係していた(?)横尾さんをたずねろといわれた。横尾さんを尋ねようとしたが、法事で尋ねることができなかった。

 

結局ほとんどの人が知らなかった。仁比山は国道にそってかなり開発がすすみ田んぼがなくなっていた。仁比山はとても広く、とても1日で歩いて尋ねまわれるものではなかった。



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