伊藤 マキ 岡崎 佳奈 神崎町(姉川下分、布古賀)のしこ名調査 ・ 聞き取り方法 まず農業を営んでいそうな家を一軒選んで訪ねてみた。その家の方は圃場整備以降の土地名しか知らなかったので農区長の家を紹介してもらいそこへ行った。農区長さんは牟田口美好さん(大正13年生)という方で、奥さんのシマミさん(昭和5年生)と一緒に話をしてくれた。 ・ しこ名について この場所には14世紀に姉川城という城が建築されていてため他の場所よりも多くしこ名が残っている。城にちなんだと思われるしこ名もいくつかあった。姉川下分・布古賀については以下のしこ名が残されている。 境古賀(さかいこが) 田代(たしろ) 中古賀(なっこが) 構口(かみゃーくち) 下馬口(げばくち) 南屋敷(みなみやしき) 東泉水(ひがしせんすい) 西泉水(にしせんすい) 舘(たち) 小路(くうじ) 天上堀(てんじょうぼり) 布古賀(ぬのこが) 梨の木土井(なしのきでえ) いんぼう 柳の内(やなぎのうち) 松山(まつやま) 杉の本(すぎのもと) また他に教えてもらったしこ名は次の通りである。 一の折(いちのい) 二の折(にのい) 五の折(ごのい)、中島(なかしま) なかびわき ・ 水利について この地区では昔から農業用水を姉川城跡のお堀から引いて利用していた。堀割は広さ14ヘクタールもあり、水に困ったことはなかったようである。それぞれの田に足踏み水車(現在はポンプ)でくみ上げていて、井堰はそう大きくはなかったので名前はつけられていなかった。昭和14年の大干ばつのときには水の足りないよその田にも水を分けていたそうだ。当時川の水を引いていたところでは、川上と川下とで水量について争いがあったということである。平成6年の干ばつでも被害はなく、豊作だった。ただ、今は水路整備工事が堀でも行われたため水が大量に流出、流入する水はないので水面が掘から1mも下がってしまい防水用水としては使えなくなりつつある。 ・ 農業経営について 水も土地も豊かだったので田の場所による収穫差はそれほどはなかった。圃場整備前は田一反あたり9.5俵の米がとれていたが、整備後は米の品種が変化、品質管理などを行うようになり一反あたり9俵ほどに減少した。ここ近年出荷している品種はひよくもち(もち米)、れいほう(酒造用)、ひのひかり(うるち米)などである。 |