歴史と異文化理解A S1-16 944778 荒木康祐 944781 池田寿雄 944812 釘本弘訓 調査地――神埼町伏部 取材をした人――区長 綿島 貞巳(62) 昭和7年生まれ 取材日――1月16日(月) 晴れ 質問 この村では圃場整備以前はどこから用水をとっていましたか。 答 横落川から引いてきていました。現在ではある地域からはポンプで水を引いています。 質問 過去に水争いはありましたか。 答 50〜60年前に城原川の上流の三千石(遺跡の名前)で、水争いをしていたということを聞いたことがある。 質問 1994年(昨年)は未曾有の干魃の年でしたが、例年にはない特別な水対策をしましたか。 答 川さらいをしました。水草などを取るためです。普通は2回だけれども昨年は10回くらいしました。 質問 特に米が良くとれる良田、あまりとれない田ん中など、場所による差はありますか。 答 山のすそあたりではとれないこともあるみたいだが、うちの村ではとれるとれないの差はあまりない。 質問 圃場整備前には、反当何俵でしたか。 答 圃場整備前には一反当り7〜8俵でした。圃場整備後は一反当り9〜11俵でした。 質問 戦前化学肥料が入る前には、反当何俵でしたか。 答 戦前は一反当り5〜6俵ぐらいでした。水害地帯は3年に一度は米が取れませんでした。 質問 いかなる肥料を使っていましたか。 答 昔は大豆かす、草を使っていました。今は化学肥料(窒素、リン、カリウムの三要素が入ったの)を使っています。 質問 裏作(麦ができる田、二毛作田)や麦作ができない湿田(じゅるい田、一毛作田)などはありますか。 答 麦を全体の田ん中の2〜3割のところで作っています。 質問 今後の日本農業への展望をお聞かせください。 答 見込みはありません。農家は年寄りが多く、今の年代の人がいなくなったら後継者がいません。若い人(45歳〜)は、今ほとんど務めに出ていて、日曜百姓する人が多いです。後、外国米の問題があります。21年前と同じ値段のアメリカ米には太刀打ちできません。施設園芸をつくるしか、生きる道はありません。 (感想)この村には綿島さんの他にもの知りな老人がおらず、しこ名が調べにくかった。 |