歴史と異文化理解A レポート

S1-14

944695 井上浩司

944686 岩本洋介

 

今回、歴史と異文化理解Aで佐賀県神埼郡神崎町平山という所へ地元の人たちから昔の水田について話を聞くという目的で現地を訪れた。

あいにくの雨だったが、雨だから誰もが家にいることを期待していた。尋ねてみると、ほとんどの人が家にいたが、誰も昔のことを覚えている人はいなかった。最初に行ったかなり大きな家の老人に聞いてみるとたしかにしこ名はあったがもう忘れてしまったと言われ、となりの家の人が知っているかもとのことで行ってみると、また同じように知らないと言われた。そしてしかたなく区長さんのお宅を訪ねることにした。区長の梅崎(67)さんに聞いてみると、やはり同じ答えしか返ってこなかった。農業生産組合長のお宅にもうかがったが、同じ答えだった。最初にあった老人もおっしゃっていたが、ここ、平山では老人が亡くなり、昔のことを知っている方はいなくなったそうだ。

まず、区長の梅崎敏男さん(1927年生、67)の話を記したい。

平山地区に現在80戸の家があるが、農業をなさっている家はわずか4戸で、しかもそのお宅すべて兼業農家で、専業農家の方は全くいない。その農家の方がしこ名を知っているのでは、と尋ねたところ、誰も知らないよと答えがかえってきた。そもそも農家が減っている原因には、機械代がかなりかかって収入が少ないこと、機械のおかげで労力が減ったこと、があげられる。何とか思いだしてくれないかと尋ねたところ、ひわたし、はたけだ、という2つのしこ名があったはず、という答えが帰ってきた。“ひわたし”という由来は、田がやや高かったため、水路から水を引くのが困難であったというところからきたそうだ。“畑ヶ田”についての由来はご存じなかった。

気をとり直し、昨年の米のできぐあいを尋ねた。昨年は猛暑で水不足だったので、あまり米はとれなかったと予想していた。しかしそうではなかった。圃場整備のおかげで上はる川からとり入れるため池の水をみんなで節約し、協力し合ったため、水に困らなかったそうだ。

また、ろう水の減少や、減田のおかげで、水がまわせるようになったそうだ。さらに暑さも加わり、昨年は、大豊作だったそうだ。ところが、米価が下がったため、収益はそんなに増えなかったそうだ。豊作貧乏だったよと笑いながら話して下さった。

区長さんは、親切にも地図を出してくれたが、それは圃場整備後のものだった。区長さんに礼を述べ、区長さん宅を後にした。後十五軒の家を尋ねたが、皆ご存知なかった。3時半まで、歩き回り、尋ねまわったが無駄だった。

 



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