佐賀現地調査報告レポート

 

〈調査対象〉

 佐賀県神埼郡神埼町 日出来、利田

 

@     日出来

〈登場人物〉

老人A() 老人B() 志岐さん(,年齢不詳) 老人C() 宮口サワノさん(,年齢不詳)

 

〈しこ名〉

 從緑(じゅうえん),(いち)(わり),(さん)(わり),()(わり)(一部に八反がく),ひいでまち,ぎおんまつ,つるごもり

       (縁?)                                                                                                  (以上、全部水田)

 

〈行動〉

  7月11日(木)午前1110分頃、先生が自分らに向かって「行き先は知っているんだろう?」とおっしゃった。自分は行き先は知っているので「はい、知っています。」と答えた。「それじゃいいね。」と先生はおっしゃった。その時は意味がわからなかったが、その意味がわかるまでにそう時間はかからなかった。先生がバスを降りられたのである。あせった。自分達は行き先は知っている。しかし、今どこを走っているかは知らなかったからである。どこで降りればよいか全くわからなかった。しかし近くに精米所らしき所があり、そこで現在地をしることができ、午前1120分頃、なんとか目的地近くでバスを降りることができた。そしてまず近い日出来に行くことにした。降りた所に小さな店があり、そこで道を尋ねた。店の人いわく、「そこの標識を左に曲がると、住宅街があるから、そこを通り抜けると日出来に着く」僕らはその言葉通りに進み、住宅街を通り抜けた。計画ではその先に日出来があるはずだったが、あったのは川だった。またもやあせった。そこで住宅街まで戻り、そこの住人に道をたずねると、ここが日出来だと言われた。だまされた。でも目的地到着でよしということにし、さっそく調査を開始した。まず、作業をしている人をさがした。すると、すぐに老人Aを見つけ、話を聞きに行った。しかし、その人は別の地域から来た方だそうでこの地域のしこ名はわからないと言われた。そこで隣の田んぼで田植えをしていた老人Bに話を聞きに行った。しかし、「どっかにいけ、まわりにも田んぼはあるやろう」という風な感じの事を言われ追い返された。どこに行こうかと思案しているところに、もう2つほど向こうの田んぼで肥料をまいていた方を見つけた。この方が志岐さんである。志岐さんは自分達の質問にこころよく答えてくれた。彼の話によると、「しこ名」というふうな特別な名前はなく、その地域名で田んぼをよんでいるらしい。彼からは「從緑」「ぎおんまつ」「ひいでまち」「つるごもり」の5つの名前を教えてもらった。僕は「從緑」の「緑」の字は「縁」ではないかと思ったのだが志岐さんが「緑」とかかれたのでそうしておく。そして自分達は志岐さんにお礼をいって別れた。次に老人Cのお宅をうかがった。この老人Cは田んぼには詳しそうだったが、部屋から出てきてくれなかった。だから玄関と奥の方の部屋との会話となり、何を言っているのかほとんどわからなかった。だから適当に話を合わせてさっさときり上げた。きちんと部屋から出てきたならいい話が聞けたと思うのだがとても残念だった。今度は隣の家をたずねた。このお宅が宮口サクノさんの家である。彼女からは「じゅうえん」「一の割」「三の割」「五の割」を聞くことができた。「五の割」には昔、特別に大きな田んぼが1枚あり、それを「八反がく」と呼んでいたそうだ。また、日出来より北側のことを聞いてみると、「そこは部落が違うからわからない」とのことだった。このあたりはかなりなわばり意識が強いという印象を受けた。あと、「その地域のことや日出来のことは、鶴西に住んでいる式いさむさんをたずねるといい。」とも言われた。この式さんは80才以上の方でこの地域全範についてかなり詳しく知っているらしい。この時点で時間は1時頃となり、あと利田についての調査も残っていたので自分達は宮口さんにお礼を言って日出来の調査を終えることにした。

 

〈日出来について〉

  日出来は去年あたりから開発が進んでおり、先生からいただいた地図の状況とは全く違っている。日出来南部の方は今は田んぼはない。全て住宅地に変わっている。きれいな新築の家がたちならんでいた。どうやら田んぼを埋め立ててその上に住宅を作っているらしい。参考までに値段を記しておくと、家がだいたい3千万〜4千万ぐらいで売ってあり、土地が306.65u(92.76坪)で13542000円くらいであった。

 

 

A     利田

〈登場人物〉

 男性  区長・岡春男さん

 

〈しこ名〉

 整地 松 島原(しまばる) 柳 杉 椿 黒木 花田 屋形

 

〈行動〉

  1時15分頃、今度は難なく利田に到着した。とりあえず人を探してみると、トラクターに燃料を入れている男性を見つけた。さっそく話を聞きに行った。彼は昔のしこ名はわからないといった。このあたりは最近整備されて、田んぼはその住所で呼ぶようになったそうである。彼は「昔の事をたずねたいなら区長さんのところを訪ねるとよい」と教えてくれ、場所を教えてくれた。ラッキーだった。調査開始早々区長さんが見つかったからである。自分達はさっそく区長さんの所を訪ねた。区長さんは整備する前の地図を持ってきて説明して下さった。とても良かった。話の内容は後に記すことにする。話が終わった頃には2時30分であり、今回の調査は満足のいくものだったと思いながら。バスとの待ち合わせの場所に向かって帰って行った。

 

〈利田の構成〉

  利田という部落は、「竹」という大きな地区の中の一つだそうである。「竹」は、「利田」「伏部(すべ)」「野田」「小路」「野寄」「猪ノ面」「新橋」の7部落から構成されている。昔は田んぼは36町ずつきれいに分けられていたそうだが、良い田んぼと悪い田んぼの差があり、調整をしていたら今では利田には、40町以上あるそうである。あと「整地」というしこ名についてだが、ここは明治時代に整備された所だそうである。今ではしこ名は使わずに、「竹○番」という風に呼ぶのだそうである。

 

〈水利〉

  日出来方面では城原川を利用。利田では横落水路と城原川を利用。

  田んぼの水利のうつり変わり

  (昔)田んぼづたいで水を入れる (今)自然水利(下図)

  この話を聞いた帰りに見てみると、このとおりであることが確認できました。

 

〈慣行〉

  慣行は部落によって全然違うらしい。利田では毎年行っているのは2つだそうである。1つは9〜10月の彼岸にかけての祈年祭だそうである。もう1つは、大分県にあるひこさん神社に豊作祈願におまいりに行くそうである。これは毎年4人1組になっていくそうである。これは当番制になっており、だいたい8〜9年おきにまわってくるらしい。

 

〈農業の苦労〉

  今現在の農業に比べればお遊びといえるくらい楽なそうである。機械がない時代は当然田植えは手でやっていたそうである。田植えの時は朝6時から夜の8時までしていたそうである。これだけ時間をかけて11反が限界だそうである。だから田植えの時は近所の人達を4、5人呼んで泊まりこみでしたそうである。そして終わった後は大宴会だったそうである。あと、大変なのは台風だそうである。9月の始めの穂の出かけに台風がくると一瞬でダメになるそうである。田植えにあれだけ時間をかけているので、9月になると天気がとても気になり、台風状況などはとても気になってしかたがないそうである。

 

 

(製作者)

班:特殊班

S1-16

1TE96587■  神田博一

1TE96598■ 小屋松祐一



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