【神埼郡神埼町花手】

 

S1-15 944717 中村泰之

944724 藤田

944726 増住

話者:原口さん

 

○「花手」における行動の記録

・まず区長さんなどの情報がなかったため、畑仕事をしていたおばあさんに田んぼの名前について尋ねてみた。「知らないねぇ。昔はあったかもわからんが、私らにゃわからんよ」何とも先行きの不安な答えが返ってきた。とりあえずその場を立ち去る。

 

・一、二軒の家を回って、よい返答は得られなかったが、「八谷さん」という方に思わぬ事を聞いた。「私達は皆外から来た者だから、そういう昔の事を知っている人はほとんどいないよ」何ということか。先程の人達もそれを早く言ってほしかった。そこで、ずっとこの地に住んでいる人の名前を聞く。「この部落では原口さんだけ」というわけで、原口さん宅に向かう。

 

・原口さん宅では、おばあさんが例によって畑仕事をしていた。田んぼの名前について尋ねると、「確かにある」よし、これで解決だと思われた。しかし…「でも、もう古い事だからあまり覚えていないよ」だが、それですますわけにもいかないので、覚えている限りでも教えてもらうことにした。原口さん宅には80才を越えたおじいさんもいらっしゃったため、そちらにも話をうかがうことにした。しかし、おばあさんいわく、「もうボケちゃってるからねぇ。あてにならないよ」とはいえ、この部落で他に詳しい人はいないので、無理矢理思い出してもらった。田んぼの名前がいくらか出てきたものの、場所がわからないらしい。とりあえず名前だけでも書き留め、立ち去る。この時、みかんとイチゴをお土産にいただいた。どうも有難うございます。

さて、佐賀まで来て、これではほとんど収穫なしに等しいので、となりの部落「尾崎西分」に行くことにした。聞くところでは、尾崎西分と花手は系統(?)が同じらしい。

 

・歩いて行くと、「自治会長」の板を掲げた家を発見。どうやら、いきなり区長さんの家を見つけたようだ。さっそく訪ねる。「今ねぇ、おじいさんが留守なんよ」外出して帰ってこないらしい。しかも、その田んぼの名についての資料は、「北九州」の大学の人に貸してしまったため、手元にないらしい。仕方がないので、覚えていることを話していただき、水不足と米作りについての御意見をいただいた。

 

・その後も家を回ったが、先程の松永さん宅が最も古いらしく、それ以上に詳しい方に出会えなかった。残念ながら打ち切る。

 

 

○情報

 ・田んぼの名前については、場所がわからないものの、「そうはる(惣春)」「さくらもと」「みず(づ?)」「きょうつか」「かなや」「よこぼい」「のんぼい(「登り」の方言)」「ばばじも」「ううくっさん(「大きい楠」の方言)」というものが聞かれた。とにかく、1980年の区画整理により、場所がわからなくなってしまったらしい。

 

・この辺りの田んぼはすべて山の上の池「ひのしゃく」から水を引いているらしい。水不足となった昨年、この「ひのしゃく」はすぐに干上がってしまったらしい。そこで、皆さんは昔からの慣習にならい、雨乞いを行ったということである。昔から「ひのしゃく」で雨乞いをすれば、雨が必ず降るといわれていたそうだが、今回は不発に終わったらしく、あてにならないと苦笑していた。

  現実的な対策としては、まず井戸水を田んぼに使用したということである。また、田んぼの濠に入っている泥を除去し、そこにポンプを設置し、水をためたという。この作業には、国から援助金が半額出たらしい(200万円ぐらい)。

 また、今日はこの田に水を入れ、明日はあの田に入れるなど、均等して水を使用するようにしたという。さらには、「我田引水」を防ぐために、なんと昼も夜も交代制でずっと見張り続けたという。これらの徹底した方法により、この地区は水不足にもかかわらず、豊作だったらしい。

 

・どの部落にも共通して言えることだが、後継者不足が悩みのタネらしい。さらに外部からの流入も激しいらしい。つまり、後継者を外部から連れてきたとしても、その時点で昔からの文化が失われてしまうのである。非常に残念というほかない。こういった文化を残すためにも、今回のような調査は非常に価値あるものだといえよう。

 

 

※花手においては区長さんは見当たりませんでした(名簿にも載っていません)。また、その上の土生などにも行ったのですが、名前を知っているだけで、場所の特定ができなかったため、話から判断してわかった所だけ地図に示します。(原本は佐賀県立図書館所蔵)



戻る