歴史と異文化理解A 姉川五の折 泉屋 亨 柴田 和徳 まずはじめに地図をみながら五の折にある一軒の家を訪ねた。そこでは村の歴史についてはよく分からないそうなので、区長さんの家を紹介してもらった。しかし区長もあまり昔のことは分からないそうなので、歴史に詳しい古老を教えてもらった。古老の家を訪ねると、柳川敏さん(70歳)という歴史に詳しい人に会うことができ、いろいろと話を伺った。 話の最初に、この地のしこ名を訪ねたが、この辺りで特にそういったしこ名は無いということだった。しかし、五の折とは違う名が記された1枚の地図をいただいた。その地図には一本松〜十六本松という地名が記されていた。それが昔の地名であったのかと尋ねてみたが、別にそういうわけではなくむしろ〜の折という名のほうが昔いということであった。その地の別名とでもいうものであろうが、一本松→一の折、二本松→二の折というようには対応していなかった。 地図を見ても分かるようにこの辺りは、一の折や二の折といったように頭に数字を含む、他では珍しい地名をしているので、よく大学生が調べに来るらしい。しかし、残念ながらその地名の由来までは分からなかった。また、いただいた地図を見ると、〜の折というところは、他のところと比べてみても、きれいに長方形に区画されているところが目立つ。ここまできれいに区画された水田も珍しいということであった。水田のほかにも、この地だけで通用するような地名はないかとたずねたところ、五の折にある集落を、この辺りの人は五の折屋敷(ごのりやしき)と呼んでいるそうである。 その他、この辺の歴史について訪ねると、少々離れた所の昔になるが、姉川城について話してくれた。姉川のむこうがわに、姉川城あとと呼ばれるところがあり、そこには室町時代頃にお城があったそうである。五の折屋敷も昔の武家屋敷のあとではないかということである。また「あね」という名は阿禰と書き、平安期に見られた地名である(「肥前国風土記」より)そうである。その他にも、下六丁あたりには、佐賀の乱の決戦場のあとのようなものが残っており、大学に調査を依頼しているが、なかなか来てくれないという話もしていただいた。 水路については、地図に黒のマジックの矢印で示す。水源は中地江川だそうである。ちなみに去年の水不足はこの辺りでは関係なかったらしい。 今回、古老にいろいろ興味深い話をしてもらい楽しかった。特に姉川城の話がおもしろかった。最近、我々と同じようなことを調べに来た人に同じような話をしてくれたそうだが、2度目の我々にもとても親切に接してくれてうれしかった。 |