S1-14 NO.944702 川島公一 歴史と異文化理解A 今回の調査では友人の車に乗せてもらうことになり5人で佐賀を調べ周ることになった。私の調べた所は、佐賀県神埼郡祇園原という所であった。午前10:00学校のバイク置場に集合した。小雨がパラついていた。10:05分六本松を出発。12:00頃神崎郡到着、30〜40分祇園原を捜し回り区長さんの江口さんを訪ねた。昼食をとっていたので私達も昼食をとりに出、出直すことにした。再び江口さんを訪ねたところ、 ●「僕たちは、大学の授業で歴史…………調べにきました。このあたりのしこ名を教えて下さい」 江「さあ。わからない。家の前の田ん中をまえんた、裏の田ん中をうらんだ。ほかはよくわからない。」 ○「この村では圃場整備以前にはどこから用水をとっていましたか。またその水源は何という井樋口で水争いについてなど教えて下さい。」 江「この付近の水源はだいたい日ノ尺池だ。井樋の名前もよくわからない。北にある背振山の水を利用している。この池からは、唐香原も同じ水源だな。水争いといえば、大きな争いはなかったが、竹地区と尾崎地区で、水をめぐる話し合いがあった。」 ○「今年の水不足で、何か特別な対策をとっていましたか?」 江「このあたりは川上にあたるため、ここで水をとりすぎると川下の地域で水がなくなるため、そこのところは川下の域と話合った。この地域では特に大きな水に関する被害はなかった。」 ○「このあたりはあお灌漑地域ですか?」 江「あお灌漑地域ではない。」 ○「特に米がよくとれる良田やあまりとれない田ん中など場所によって差はありますか。」 江「どこの田ん中もたいした差はない。」 ○「反当何俵ぐらいとれますか。」 江「5、6俵ぐらいかな」 ○「戦前化学肥料が入る前にはどうでしたか。」 江「うちではすでに化学肥料を使っていた。その前に反当何俵とれたかまではわからない。」 ○「裏作のできる田があれば教えて下さい。」 江「裏作ならばほとんどの田で出来る。」 ○「今後の日本の農業についてどう思われますか。」 江「先が明るいとは言えない。」 という具合でことは終了した。 |