【神埼郡神埼町姉川境古賀】

歴史と異文化理解A 課題レポート

                   阿部 洋

                                 荒井 信宏

 まず、始めに出会った50才くらいの女性に姉川上分内で境古賀と中古賀がどのあたりか尋ねた。そして、このあたりが境古賀であると分かったので「しこ名」について聞いてみた。しかし、「しこ名」というものをご存じでなかった。そこで“昔、身内で使っていた、たん中の名前の事だと思うのですが”と聞き直しても、ご存じないようであった。そこで肥料、水利について尋ねると、肥料は昔は魚を干したものを、現在では化学肥料を使用しているとのことであった。また、水利については近くの川(名前はわからなかった)から水を引いているといわれた。もう少し他のことについても聞いてみようと思ったが急いでいるとのことで無理であったので、区長さん宅を教えて頂き、訪ねてみることにした。

 区長さん(城島さん)のお宅を訪ねていろいろな話を聞こうと思ったが不在であった。30分程度待っていたが帰ってこなかったので境古賀に行って一軒一軒訪ねることにした。

 

 

     境 惣一さん宅……不在

     境 信夫さん宅……不在

     境 晴夫さん宅……不在

     境 定さん宅……不在

 

訪ねた家すべてが不在もしくは小さな子供しかいないようであったので、どうするか迷っていたときに、最後の一軒にしようと思って訪ねた家に、運よくおばさんがいらっしゃって心よく質問に答えてくれた。まず、「しこ名」について尋ねてみると、このあたりの家を中心として、東にあるから「ひがしのたん中」というように各方位を冠にしてよんでいたようであった。また土手(でえと呼んでいる)の面にあるから「でえにし」とよんでいるようであった。肥料については、昔は「人糞」「堆肥」を使用していて、現在は化学肥料を使用しているとのことであった。水利については堀(ほい)から水車(人が足で回していた)で水をひいていたということであった。また一反あたりどれくらいとれるかを聞くと、“人にまかせてあるから詳しくはわからないが、1013俵はとれる”ということだ。米不足のときには、10俵もとれず今年のような豊作のときは15俵近くとれたとのことであった。裏作については“やろうと思えばどこでも麦作はできると思いますよ”という話であった。このおばさんもどこかに出かけなければならないと言われたので、最後に名前と年齢を教えてもらった。

 境 ツヤコさん 72

 

 また地図についてだが、「しこ名」を教えてもらったおばさんに地図をみても場所はわからないと言われたので、だいたいの位置を示した。

 

 

 尚、境古賀には1月13日(金)に行った。

 



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