穴井 修司 佐賀 姉川西のレポート (経過) 8:30に自宅を出発し、大宰府インターから鳥栖を経て、東せふりインターでおりました。 姉川西へは、国道385号線を通って行きました。 途中、姉川橋西という所も通過し、そのまま進んでいましたが違っていることに気づき、またUターンして戻りました。そして橋を渡ったところで近所の方に「姉川西はどちらにあるのでしょうかと」尋ねたところすぐ「そこにあるよ」と言われ、行ってみるとすぐに分かりました。そして、公民館につくと、そこに人がいたので「姉川西の区長さんはいらっしゃいますか」と聞くと公民館の中にいたのでそこからレポート作りが始まりました。しかしレポート作りをする前にまだ会議をやっていたので外で30分くらい待たされました。結局レポート作りを始めたのは10:00に公民館についてから30分後の10:30から行いました。 (レポートの結果)→まず自分たちが持っていた地図は古いといわれた。 @ まずしこ名を聞くことにした。 田んぼなどはなにもありませんでしたが橋にいろいろとついていました。 図(写真)を参考にしてください。 A 圃場整備以前の村の水利 以前は、姉川の水が少ないときは、上流の上ばる川という所から水を引いていたそうで す。また、ナカツエ川という所は全地域の川の水が集約される所であり、水害がしばしば起こっていたそうです。 B 今年特別に行った水対策について 圃場整備を行っていたので特別なことはやっていなかったそうです。犠牲田の設置もしていなかったそうです。 C 淡水(あお)灌漑地域について だいたい稲の初期間にするそうですが普通はそんなことせず、よっぽどのこと干害の時にしかしないようです。所有権については最近していないのでよく分からないと言っていました。 D 圃場整備以前は一反あたり何俵か→9~10俵、10~12俵 化学肥料以前の肥料は“いなわら”“大豆”“有機物質”を使っていたそうです。 裏作ができる田できない田については、やろうと思えばできるが今日ほとんどやっていないそうです。 以上がレポートについてです。 (感想) 福岡とは違う環境や整備について少し驚きました。今もいろいろな所で工事が行われていました。佐賀は今から発展していく所だなあと実感しました。あとレポート作りをするとき、すこし区長さんの話している言葉が分かりづらかったので何回も聞きなおしたりしました。レポート作りを終えると、帰りに吉野ヶ里へ少しよって、昔の竪穴住居などを見てきました。帰宅はPM5:00くらいに無事帰ってきました。 |