歴史と異文化理解A 課題レポート

姉川上分田代地区を調査して                   井戸利博

                                大田利博

 

田代の昔の水田について

     情報収集の過程

私たちはバスから降ろされた場所<ラーメン屋の前>から、国道34号線のある信号を渡って、中地ノ川をどんどん北に進んでいった。姉川下分から姉川上分に入り、小さな寺(往生寺)に行き、この辺りのことを聞いた。するとこの辺りが私たちの調べる田代地区であることが分かった。その寺の人はしこ名についてはよく知らないそうだったので、詳しく知っている人を聞いてそこに行こうとした。するとそのいく途中に田代地区の住民である人がいたのでその人から情報を集めた。この人はなかなか話が分かる人で、しこ名(一個だけ)や村の水利などのことも教えてもらったり、昔の田代地区の地図を見せてもらったりしてくれた。その人もあまり田代地区について詳しく知らないそうだったのでお寺の人に紹介してもらった人に会いにいくことにした。しかし、情報は得られなかった。その後、私たちは田代地区から近い伊賀屋駅にいって、駅の前にあった店でパンを買って昼食をとった。昼食をとって私たちは田代地区に戻り、情報を集め始めた。田代地区で2番目に年を取っている人から他の地区のしこ名(2個)を聞き、この地区の長老の人を教えてもらった。その長老の家は私たちが冷たく断られた人の家だったが、再度行ってみたが留守だった。それからは情報を得ることが出来ず、仕方なく引き返した。引き返している途中に私たちが苦心の末に調べた唯一の田代地区のしこ名である庄屋橋があったので、そこを渡ってバスの停車場まで行った。

 

     しこ名について

しょうやばし(庄屋橋)

場所・・地図に示してあるとおり、田代地区の最南端にある橋であり他の地区との境になっている。

意味・・昔、この田代地区に住んでいた庄屋さんが建てた橋であるそうだ。

 

ちゃーきばし

ろくのいみち

 他の地区のしこ名だが、この辺りでも使われていた場所は分からなかった。

 

     むらの水利について

この田代地区では圃場整備以前には中地ノ池、又は筑後川の上流から用水をとっていた。水を取り入れる“いかり”は二本杉にあるいかりが大規模なもので、田代地区にある姉川のいかりからも水を取り入れていらしい。

 

27 神崎郡横武村内の地図の赤い部分がこの田代地区の水利

 

     1994年の水対策について

この田代地区周辺は水利が発達していて別に水には苦労しなかったと言っていました。

 

     村の範囲について

この田代地区の村の範囲は、往生寺〜庄屋橋までだそうです。

 

27 神埼郡横武村内の地図の黄色い部分が田代地区(佐賀県立図書館所蔵)



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