歴史と異文化理解A 課題レポート 姉川東分野田 佐藤匡生 浦川篤 目的地までの経過まず農区長の家を訪ねるために野田さんというお宅に東区長のいる場所を聞いてみた。それから農区長の家に行ってみたが留守であった。そこで、他の家を数軒当たってみたが、しこ名を知っているような人はいなかった。農区長をはじめとする代表者は公民館に集まっていることが分かった。そこでそこにお邪魔することにした。公民館で話し合いが行われていたが、ちょうどお昼休みの頃だったので、僕たちの申し出に快く応じてくれた。地図への記入は村の古老と呼ばれる人たち数人が話し合いながら記入して頂いた。よって一人の意見ではないので覚え間違っていたり勘違いなどのミスの確率は極めて少なく正確であるといえる。 地図を記入して下さった方の代表者 農区長 宮地玄彦(ミチヒコ)S2生まれ しこ名調査以外のことについて1 村の水利について この地域ではクリークが非常に発達しているので用水の不足ということはあまりなかったらしい。この地域は以前鍋島氏の支配下にあり、野田城という城があったが(今は城跡になっていて若宮神社という神社になっていた)クリークは野田城の防備のためにも非常に役に立っていたらしい。(クリークがたくさんあったために城に行くまでの道が細かったので)よってこの地域は水に恵まれた土地であるために、今年の大渇水も特に水害対策することなく乗り切ったらしい。また昭和14年にも大渇水であったが、村の人たちの協力でその年は豊作であったという。 他に農業用水の確保としては井戸水や淡水(海水を堰き止めて水をため比重を利用して上澄みの水だけを使う方法)などがあった。 2 収穫量や肥料について 収穫量 戦時中 反当たり 4俵 整備前 〃 8俵 化学肥料を使う前の肥料 大豆のかす、干鰯 牛馬の糞(藁をかけて腐らす) 下肥(これは戦時中のみ。一部の家庭で使われた) |