【神崎郡千代田町柳島地区】

「田ん中のしこ名」について

S1−17 944853 野田 康仁

S1−17 944854 信国 茂樹

 

 今回、僕たちが調べたのは佐賀県柳島の田ん中のしこ名等である。僕たちが柳島の区長である江頭丈一さん(65才、昭和4年生まれ)を訪ね、お話をうかがった。江頭さんは、しこ名だけでなく、この地方の歴史にも非常に詳しい方のようであった。

 江頭さんは、区長としての仕事もあり忙しい中、こころよく僕たちの依頼に応じてくださった。僕たちはまず、自分たちの身分を説明し、さっそくしこ名について地図で示してもらった。

 しこ名のつけられた由来についても宿のあったと言われる場所を利用して、宿(しゅく)のまえ、うら、またお宮のあった近くに宮のうえなどのしこ名がつけられていた。しかし、アクセントは感じられなかった。

 

水利について

 この地区には2つの井樋があり、(これは単に「井樋」としか呼ばれていないようだった)そこから水をとっていた。この地区の水利は、田手川下流の「樋道井樋」が主な取水地で、そこから、クリークを通して、水を柳島の各田んぼへ運んでいた。

 また、興味深いことに1994年の干ばつにあっても、この地区は全く水不足に悩むことがなかったそうである。それは、以前この地区に優れた用水がつくられたためだそうで、その大体の内容を書くと、「昔、この地方が鍋島藩の領地だったころ、鍋島勝茂の息子意(なお)ひろが、養子に行く際、その子に持たせた2万3千石の土地が柳島であった。したがってそれ以前に柳島という地名はない。そして、その後その柳島をなり富公という人が、治水工事を行い、すぐれた用水がつくられた。そのすぐれた用水により干ばつでも、どの田にも水がゆきわたるようになった。」というような話をしていただいた。

 

淡水(あお)の取水について

 淡水のとり方については、旧暦で毎年1日と15日に取水を行っていた。この日に淡水をとる理由は、潮の干満の差が最も大きくなるためで、取水の日、満潮時になると、当然海の水が川へ上ってくる。そしてその塩水は川の上流の真水とぶつかる。塩水は真水より比重が大きいため真水の下にもぐりこむ。このような状態のときに淡水を取水するそうである。

 

まとめ・感想

 現在、この柳島では圃場整備がすすみ、住所も世帯主ごとに番号として割り振られるようである。また、水路も新しく建設され、近代化がすすんでいるようである。今回見た限り、柳島やそのまわりの地域は、とても穏やかで平和な村だった。江頭さんの話によると、今回調べたような「しこ名」は今も使わないし、これからも使うことはないだろうということだった。時代の流れだとおっしゃっていた。しかし、せめて穏やかで平和な村の雰囲気はずっと残っていてほしいと思った。



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