【神埼郡千代田町境原地区】
千代田町境原の原地調査レポート
報告者 1LA98128■ 軸園 恵介
1LA98127■ 新庄 真士
しこ名について、半日調査したものの、有力な情報が得られなかったため、地名の記録と地図への記載ができなかったことをお詫びします。そこで、少ないながらも、お年寄の昔の生活の話をレポートとして以下にまとめます。
<事前の準備について>
99年12月27日 月曜日 くもり
地図をつなぎあわせ、色ぬりしました。28日に実家の熊本へと帰省する予定なので、その行きか帰りに佐賀に寄るつもりでした。しかし、年末で車が渋滞していたこと、正月が明けるまでは訪問はご迷惑をかけると思ったことで、1月3日以降に延期しました。
<調査当日>
2000年1月9日 日曜日 雨
1月5日に調査にいく予定だったのですが、今回も渋滞にはばまれ、延期に決定したのですが、9日はあいにく雨。しかも強風と悪天候でした。車の量は少なかったのですが、外を歩いている通行人の方々がまったくおらず苦労しました。プリントにあったように庭先にトラクター収納庫のあるお宅を訪問しましたが、皆様お忙しいようで、お話をお伺いできませんでした。用水路沿いの小道を脱輪の恐怖におびえながら奥へと進み、途中の農家のご主人に今から40年ほど前の青年団のお話を聞かせてもらいました。内容は以下の通りです。
「青年団は学校を卒業した人たちがお寺や神社などの広場に集まって、日用品をつくったり、祭りの準備をしたり、パトロール(主に火事の)をしたりしていた組合のようなものである。昼間は農作業の手伝いをし、晩ごはんを食べた後に集会に参加。昔は服や靴を買わず、自分たちで作っていた。わらで縄やわらじをつくったり、女性は織り機で布を織ったりしていた。遅いときは夜11時すぎまで作業をしていた。当然、昔はテレビ等、家電製品がなかったので、娯楽といえば、そんな青年団での作業中の仲間とのなにげない日常会話が楽しかった」(匿名希望、男性)
その後、細かい路地を歩いて調査しました。あぜ道を歩いているつもりが、いつのまにかフェンスに囲まれ脱出不能に。失礼のないように正装していったスーツも泥まみれになり、よけいに失礼なかっこうになってしまいました。近くに見えているのになかなか住宅地区に近づけず、牛舎や大きな送電線のふもとでうろうろしていたときに通りがかりのお年寄りにもお話が聞けました。以下お話の内容です。
「1994年の大旱魃では、川の東側(おそらく用水路?城層川?城東川?ジョウソウガワと聞こえました)と学校周辺で水不足が深刻だった。学校名までは思い出せない。川の水がその周囲だけ1mくらいあって、水不足の地域の人が夜、トラックに大きなタンクを3〜4個積んでくみに来ていた。30年前にもし干ばつが起こったら、というのはわからない」(黒井さん、男性、80代)
今では水を大量にくみあげるポンプにタンク、自家用トラックがあるので、6年前の干ばつを技術でなんとか乗りきることができたのではないでしょうか。今では牛舎や大きな送電タワーに変わってしまっていますが、昔はもっと用水路が入り組んでいたそうです。その後、留守の家が2件、忙しくて都合の悪い家が3件続き、大きな納屋のある家で以下のような話が聞けました。
「祭りは数少ない楽しみの一つ。儀式よりも、さわげることが楽しかった。青年団が中心となって準備をした。男性が女性にかっこよい所をアピールできるチャンスでもあった。他地域の青年団からも遊びに来る人達がいた。夜遅くだと子供(12歳前後)は帰された。とにかく、準備をするのも楽しくて、この時代の娯楽の大きな部分を占めていた」(任井さん、男性、63歳)
とにかく、現在のようにテレビもマンガもゲームもなかった時代だった。なにも楽しみがないというのはつらいので、昔の人はまつりを楽しみにする気持ちが大きいのだなと思いました。以下、別のお年寄りの娯楽の話です。
「昔は本当に何もなかった。あるのは祭りと映画だけだった。そんなにお金もなかったから映画は何回も行けなかった。祭りで出店を出して得た現金や、正月のしめ縄を大きな町まで売りに行って得た現金を貯めて、映画を見に行っていた。自転車を貸してもらって、恋人同士は2人乗りして風景のきれいな所に行ったりするのがデートだった。買い物には行かなかった」(匿名、男性)
以前、昔話で読んだ内容に似ている気がしました。今ほど現金の必要性がなく、自給自足ができていたようです。風景がきれいな場所に好きな人と行くというのはいつの時代も変わらないんだなとも思いました。
「(?)は少なかったため、買えなかった。(買わなかった?)。塩は青年団のメンバーが夜中に自転車の荷台に大きなタルを積んで、塩水をくみに行き、自宅の庭でにつめて塩をつくった。少しずつしかとれなかった。みそも自宅でつくった。」(匿名希望、女性、77歳)
雨は小降りになったのですが、日が暮れてきたので福岡に帰らなければならず、調査を切り上げました。
とても聞きにくい内容だったので、鹿児島の祖父に聞いたのですが、昔は、結婚の自由はなく見合いといっても、有力地主がとり決めていたそうです。
<まとめと感想>
今回の調査では、目的の地名や具体的な地区の場所が特定できませんでした。しかし、今回の調査をきっかけに今まで触れることのできなかった昔の生活を知ることができました。今までは、すでに大昔から残されていた歴史書の内容を、そのまま頭の中に入れていましたが、私が今回文字に残そうとした作業が歴史を作ることなのではないかと思いました。私は今回価値のある成果を残せませんでしたが、他の班の人達が記録した内容が100年200年後の歴史を学ぶ人達に受け継がれていくのだなと感じました。未来の歴史学習も、教科書を眺めるだけでなく、実際のフィールドワークを通じて、過去から現在への移り変わりを体感してほしいです。
歩き、見て、ふれるというのはこのことを表していたのだなと感じました。
大変貴重な経験をさせていただきました。お話を聞かせてくださった方々、道を教えて下さった方々、服部先生、ありがとうございました。