【神埼郡千代田町下姉地区】

歴史と異文化理解 現地調査レポート

1-16 944814 黒木真治

 

調査地区:千代田町下姉

1.聞き取りの方法・成果

 下姉地区に行き、十数件ほどの家がかたまっていたので、中野さんの家から順番にたずね、全ての家を訪れてみた。圃場整備後に引っ越してきた人もいたが、すべての家を訪ね、6件の人から話を聞くことができた。さらに姉の区長である坂井さんの家をたずねて、いろいろな話を聞くことができた。

 

2.しこ名

 圃場整備の前には他人の田同士を交換する交換ぶんごが3回行われていたので、田んぼ(たんなか)の呼び名はいろいろあったということである。そのため田んぼの所有者の名前をとって、それを田んぼの呼び名にしたものがいくつもあったそうである。また同じ田んぼで所有者が交換ぶんごで変わってしまったため、しこ名が変化したものもあった。また、地図が当時と変わっているため、正確な場所がわからないものもあった。

 

◎田んぼ(たんなか)のしこ名

 ・でいのうち(部落の入り口にあった)

 ・やなぎの内(部落の北)

 ・ひちんつぼ(多くの人が呼んでいた)

 ・はちんつぼ

 ・むかいつぼ(家族で呼んでいた)

 ・いきあたり

 ・みずえた(部落の南)

 ・なかの

 ・でんでんぼりのたんなか(でんでんぼりと呼ばれる堀があり、その堀の真横にあった)

 ・はちがまち

 ・てんだ

 ・にただ(圃場整備にかからなかった田んぼ)

 ・ごらく

 

◎ほりのしこ名

 ・でんでんぼり(今の下姉の真ん中を通っていた)

 ・ごうごうぼり(東側、今の姉団地の中を通っていた)

 ・せんぞく(せんぞく川とつながっていたほり)

 

3.村の水利

 圃場整備以前には、ほりがつながっていて家のそば、田んぼの横には必ずほりがあり、この堀を船が行き来して船などで物を運んでいた。しかし、圃場整備後で、大部分のほりが埋めたてられてしまった。現在でも家のそばにほりがあるけれども、水がほとんどたまっていない所が多くある。今でも水がたまっている堀もあるが、特に利用していなかった。今ではほりの名前もなくなっている。

 また、いびと呼ばれる水の道があり、傾斜を利用し、水を高い所から低い所へ流し、水路にあるいくつかのしきりを使って、水の流れを調整していた。このあたりは、すこ(南)まで潮の満ち引きがあり、この潮の満ち引きを利用して淡水を田に入れていた。水はさかいばやから、さかいばえを通って流れ込んでいた。このように、このあたりは水が豊富で、干ばつには強かった。しかし、洪水もよくあり低地が水に沈んでしまうこともあったということである。

 

4.1994年の状況

 1994年は大渇水の年であったけれども、いびや水路を操作することなどで、水は豊富にあって、被害を受けることはなかった。下姉地区の南の川崎・余江などは大きな被害があって、水を流してくれるように依頼もあったそうである。昔から下(川崎、余江などの南の地区)が不作なら、こちら(姉、下姉、下黒井など)は豊作になると言われているそうで、1994年は例年にない豊作であったそうだ。



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