【神埼郡千代田町崎村上地地区】

歴史と異文化理解Aレポート

S1−16 944817 小谷 哲浩

S1−16 944818 小西 貴久

 

@聞き取りの方法

 我々はまず通りがかりの老人にしこ名をたずねたが知らなかった。その老人は公民館に行けば何か分かるかもしれない、と言ったので公民館へ向かったが、行く途中、歴史博物館の前で女性に出会ったので再びしこ名を聞いたら区長さんの家まで案内してくれた。区長さんの家では崎村を調べるグループがいて彼らと共に行動した。ところが、区長さんは病気で寝こんでいると言われた。さっきの女性が公民館を案内してくれ、近くの老人たちを5、6人呼んでくれた。しかし、最も物知りであると呼ばれる人が、1人は結納、残りの2人は法事のために在宅していなかったのは大きなダメージとなった。とりあえず、来てくれた老人にしこ名をたずねたが、崎村は10年前に圃場整備が終わっていて来てくれた老人たちもなかなか覚えてはいなかった。そのためしこ名の収集は困難を極めたが、何とか十数個を収集できた。

 

・収集されたしこ名は地図のある通りだが、そのしこ名の由来まで分かったものがあったので記しておく。

 お宮のうら=冠者神社の裏にあったから

 さきがさき(崎ヶ先or先ヶ崎)=崎村の一番先にあったから

 いっぽんえんのき(一本えんの木)=エンの木が一本あったから

 やくぞい(焼く沿い?)=やきば(火葬場)の側だったから

 たかだんひくだん=水害を避けるための水路を下げた

 ながた(長田)=細長い田だったから

 

・崎村上地は崎村の一部で崎村の上地という意味。だいたい千歳農協が境となっている。

・昨年の干ばつは大して影響はなく、昨年特別にした水対策はなかった。

・収穫について:昔は一反当たり10〜9俵くらいだったが現在は8俵。

・干ばつの時は川からポンプで水をくみ上げて水を取る時間を決めていた。

 

・その他:四の坪以西は小森田の辺の部落の人が耕作していたので分からない。昔は、小さな田も(みのの下にかくれるような田も)1ぴつと数えていた。減反政策などの理由でイチゴ畑になる田も増えている。

 

区長 向井 実さん(病気でいらっしゃった)

聞いた人

 内川 哲(生産組合長)  S10

 樋口 守  T14

 向井 市次  T1

 藤井 次男  S5.

 江島 正昭  S8



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