【神埼郡千代田町崎村地区】

担当:944822 齋藤正志、944824 坂田良子

 

聞き取り方法:

 崎村は結構な広さがあるため、無差別にまわるのは不適と思われたため、常套手段として手始めに区長の向井実さんのお宅を伺った。

 すると、向井実さんは風邪で床についてらして、話を伺うことができなかったので、とりあえず一室をお借りして、昼食をとってあとのことを考えようということになったのだが、その時、崎村上地担当の二人(小西、小谷)が案内されてきて、一緒になって同様にどうしようというふうにしていると、公民館をあけ、そこに資料としこ名等を知っておられそうな方々を用意して下さるという申し出があったので、私達二組はご好意に預かり、とりあえず公民館に向かいました。

 流石に用意された資料は地番や持主などはあったが、しこ名はなかったので、それを手掛かりにして、集まって頂いた方々に頼ることとなったわけですが、主要な方々は法事やら何やらで不在だったので、集まって頂いた方々では不十分だとはあちらも言われたが、その日、集まれる方々の中では一番可能性のある方々だったので、そこで聞く以上には、たとえ一軒ずつ回っても、情報は得られないと判断し、そこに落ち着いて話を伺った。

 

集まって頂いた方々(生年):

 向井 市次(T元)

 樋口 守(T12)

 藤井 次男(S5)

 江島 正昭(S8)

 内川 哲(S10)生産組合長

 他に数名こられましたが、わからないということで、中途退室された為、姓名不明。

 

・崎村の区長はかぜで寝こんでいらっしゃったので、村の人に崎村公民館に集まってもらって話を聞いた。

 

◎しこ名の由来―田んぼの中にいくつかの名前の由来―

・寺ん前=真福寺の前にある。

・へいあがり=はいあがるの方言。

・ひょうたんぼり=ほりがひょうたんのかたちをしている。

・どうめい=水争いなので同盟が結ばれたのかもしれない。

・菱ぼり=菱(水草の実で、地元ではよくとれる食用)があった。

・かもぼり=かもがおよいでいた。

 

◎昔の水路などのつくりとその工夫

・やのうらの水害を防ぐために、水がたまらずにちゃんと流れるよう道路を下げてあった。

・水利は田手川から満潮時崎村用排に入れていた。やのうらの樋管で調節。ていじん北の×印のところに調節するところがあった。

 

◎整備前の水田における米の収穫量

・整備前…9〜10俵/反  今もだいたい同じくらい。

 

◎1994年の干ばつに対する対策

・田手川の水をポンプであげたり、時間給水があったが、それほど大きな被害はなかった。

 

◎その他に崎村の水田に関すること。

・肥料など…昔は堆肥、わらをくさらせる、せっかい、下肥なども使われていた。

・昔は小作農がほとんどで、地主はだいたい20から40ちょう(1ちょう=1ヘクタール)をもっていたが、小さな田んぼも1ぴつと数えるくらいいいかげんなものだったらしい。

・崎村の水田では麦作、野菜も作られ、湿田は少なく米作りに適した土地。近ごろでは減反していちごを作る農家も多く、減反に対して、土地の特徴を生かした作物を工夫している。減反に対して、特別反対しているという人はいないらしい。

・黒津と崎村は、1mくらい差があって崎村の方が高かったが、今では整備されて同じくらいになった。

 

◎反省と感想

・崎村の区長さんが寝こんでいるという大きなハプニングにあってしまったが、いろいろとまわっていくと日曜だというのに閉まっていた公民館をあけてくれて、わざわざ村の人たちに声をかけて下さって公民館に集まって頂き、本当に感謝している。10年前に崎村が整備され私たちが持っていた地図とはずいぶん変わっていたが、昔を思い出しながらここはだれの田んぼだとかみなさんで話し合ってもらった。日曜日だったのでお年寄りの方は出かけられている人が多く残念だったが、普段はあまり耳にすることのない農家の人々のくらしや問題について直に接することができ、とても勉強になった。こういう機会にしかああいった話は聞くことができないと思うので耳が傾いた。はじめはなぜこんな田んぼの名前など調べるのだろうと思っていたが、村の人と接するうちに気さくでフレンドリーな昔からの人々の生活が見えてくるようでこういうのが消えていきつつある現代で残していかなければいけないとも思った。



戻る