【神埼郡千代田町新村、大石地区】

歩き、み、ふれる歴史学

12月23日、佐賀現地調査レポート

1AG96228 宮本 可和

1AG96248 山口有希子

新村について

※西川浅一:83才、1913年生まれ(11月)

 

村の名前

しこ名一覧

新村

田畑

小字

 

小字

ロッポンスギ

ナナホンスギ

ハッポンスギ

の中に

 

字がよく

わからなかった

イチンツボ、ニノツボ、サンノツボ、ジュウニ、

ジュウサン、(ジュウシだが他の名で呼ばれていたが、思い出せなかった)、ナナホンスギ、ゴホンスギ、ニジュウシ、ハチホン、ススカイ、ナガヒラ、ドゾウダ、ゴウザカイ

 

地図を参照にして下さい

井樋

よくわから

なかった

シンムライビ

サンジュウロクイビ

 

補足説明

○水の取り入れは、ジョウバルガワにあった上記2つの井樋より直接取っていた。他の村との争いはなかったもよう

○1994年の大かんばつ…特に問題はおきなかったらしいが、“大石”で聞いたところによると、ジョウバルガワ東側は大変で乾田も出たとのこと。

○クリークの名、水道(しいど)は存在しない。道に名はついていない。

○橋…昔から、シンムラバシ(新村橋)だったようだ。

○用水は村専門の井樋から直接とっていた。

○水争いはなし。

○村の範囲…地図にオレンジの線にて印す。 (地図は佐賀県立図書館所蔵)

○米のとれる田…ゴウザカイ、新村一帯はかつてオビガワで、その砂地が残っており、砂を除き、整地していたのがゴウザカイらしい。

○S28 ジョウバルガワの堤防が低く洪水があった。(時期の詳細は不明)まだ作業のし始めで苗の被害が少しのみだった。(おじいさんが、浸水の跡をみせてくれた)

 

本告牟田

田畑

小字

 

 

 

 

チャノキ、ジュウゾウ

 

補足説明

 西川さんが川(ジョウバルガワ)西について教えてくれたしこ名

 

※新村周辺については、先輩方の調べたしこ名と西川さんが教えてくれたものと一致していたため、まず確実だと思います。

 

行動記録

 新村に向かい、50位の男性に村の古老について聞き、西川さんのことを教えられる。西川さん宅に向かい、調査を始める。それから上黒井に向かう。上黒井到着後、神社で昼食をとっていたら、いきなり区長さんに会う。区長さんの話によると上黒井北部一帯は、隣の大石村の領域にふくまれることがわかった。が、とりあえず上黒井の古老、黒田トクジさん宅へ話を聞きに行くが留守。代わりに黒田タケトさんの家を教えてもらうが留守。奥さん曰く「うちのお父さんは詳しいよ。いつもあなたたちが来る時にいないのよね」だそうだ。その後、諦めて大石村へ向かう。

大石村は人気がなく、新宿の方まで歩いていった。村外れの30代位の女性に村外れに年寄がいると聞き、教えられた家を訪ねるがその方は田畑について全くご存じないそうで、村中央にいる古老の1人、船津さんを教えてもらう。この人が大石では一番よく田畑について知っているらしいが、風邪をひき寝ているために話は聞けなかった。が、奥さん(十条の出身)に前の家の人も詳しいらしいと教えてもらう。訪ねるが、お話を伺えなかった。

途方にくれて道を歩いていると寺(光円寺)に人がいるのに気付き、ダメ元で聞いてみた。80すぎ位の上品な女性が親切に教えてくれて、色々なところに電話までして下さった。待っている間は寺の住職さん(たぶん息子さん)が、村の名の由来や様々なことを教えて下さった。その後、区長さんの家を訪ねて、やっと調査ができた。

 

 

 

 

 

 

大石について

※実松満 (生まれ年等は聞き忘れました。区長さんです。70過ぎなのは確かです。)

 

大石

田畑

小字

 

ほとんどが

わからなかった

上黒井北部

 

 

シンデー

村西部

ジョーゴ、マイゴー、スサキ

村南部

ミナミノマエ(ミナミノ前)、デーラー

村北部

テラノウラ(寺ノ裏)、シンシュクウラ(新宿裏)、オオイシゴンゲンサマ(大石権現様)、ヒガシノンボリ(東ノンボリ)、ニシノンボリ(西ノンボリ)、サンノスミ(三ノ角)

クリーク

マイゴー横

マイゴー

村の南

ヤツエダ(八ツ枝)

マイゴー西

イデリュウ(井手竜)

村の中央

東西の境界

リョウゴクバシ(両石橋)

水道

夫婦井樋

(大石西のみ)

 

新宿付近

引く水の量をめぐって、他の村と争いがあったようだ。村の名はわからなかったがおそらく莞牟田や本告牟田だろう。

大石東側が使っていた蓮池藩の井樋

名はわからなかった。

米高の良い田畑

 

全体に西側の方が米高は良かったそうだ。東側は砂地だったため、水はけに問題があったもよう。

 

名はわからなかった。

 

補足説明

○村から見て北(上)にある田を「〜ノンボリ」と呼ぶ。

○村の北部に大石権現様と呼ばれる大石があり、そこから村の名“大石”が由来する。現在、大石は公民館に移動(天満宮)。和尚さん曰く「大石はミタマの集合体」なのだそうで、崇められています。

○村の中央にある両石橋は名の通り、2つの藩をつなぐという意味のようで、村の西は鍋島藩(本家)、東は蓮池藩(分家)に統治されていたそうです。

○ジョウバル川をはさんで西はクリークが発達しているが、東はそうでもないことの理由は、区長さんはよく知らないそうで、おそらく2つの藩の力の差だろうと言っていました。

 

<補足説明>

○大石はリョウゴクバシ(両石橋)で西と東に分かれており、西は鍋島藩(ピンクのマーカーで囲んだ範囲)、東は蓮池藩(黄色のマーカーで囲んだ範囲)に分かれて統治されていた。

○水について

 水源…西は夫婦井樋から水を引いており、東側は新宿の辺りから引いていた。

○川の掃除…公役があり、春に1週間〜10日かけ川を清掃。毎年行われる決まり。

○緑のマーカーで囲まれた範囲をシンデーと呼ぶらしい。かなり広い地域なので少々疑問だが、区長さんはこの一帯全部をシンデーと呼んだと言っている。(先輩方が調べた拾弐本松は字名だそうだ。←上黒井での呼び名)

○水をジョウバル川から取る井樋の名は、わからなかった。

○用水は、西側は夫婦井樋の分枝の1つを単独で、東側は新宿からの用水を単独で使用。上流と下流で引水量をめぐって争いがあったようだが詳しくは不明。上黒井等より西の部落は六本松のクリークを使っていたため、水利害に関しては大石と関わりはないそうだ。

○1994年の大かんばつ…大石はクリークのため、もちこたえた。

○S14年の大かんばつ…大石はクリークによりもちこたえたが、枯れる寸前。ジョウバル川東は枯れた。

○蛇足だが、区長さんはしこ名についてあまりよく知らないようだ。(しこ名を十以下しか挙げられなかった)はっきりしたのを聞きたいのなら、今回風邪をひいていた船津さんに聞くといいかもしれません。



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