【神埼郡千代田町黒津東地区】 現地調査レポート 黒津東 S1−18 944888 有田 浩明 〃 本瀬 貴一郎 田ん中のしこ名の由来はほとんどわからないということだった。田のまわりの小さな田のことを北部ではひらき、南部ではえんばということだった。えんばというのは家の中にある縁側のようなものだから、それからとったのではないかとおっしゃっていた。その地域に田ん中をもっていないからあまりわからないというのがほとんどの人の我々の質問に対する回答だった。複数の農家の方に尋ねた為、ひいでという場所が二ヶ所あるがよくわからなかった。 村の水利 田手川、筑後川、城原川から取る。昔は地域によって田の落差があり、野越(のごし)とよばれるもので調節していた。 水対策 犠牲にした田はないが、しょうがなく塩分の濃度の高い淡水を入れた田はあった。 アオの取り方 右のような樋門で汐見表を見ながら取水。昔にくらべ、川底が深くなり、ダムができたため海水が入ってきてアオがとれなくなった。 この村では井樋番は5人。樋門は4つ。手当ては。建設省関係はふりこみなのでよくわからないとおっしゃっていた。 ほりのゴミの取り方 ほりをかわかして、水を出し周囲のゴミを集め、右図のようなたるを大人が5、6人で、ロープを引き上げていた。だんぱちごっこと呼ばれていた。今は機械でなされている。 一反当たり約600kgの収穫が見込める。整備前後ともあまり変わってないが、以前あった田の落差の高い方の田が低い方の田よりも米が取れたそうだ。肥料は農協から指定された肥料を使っている。ほとんどの田で裏作をしている。 今後の日本の農業について はじめは「きびしかろうなぁ」の一言であった。後継者不足は端的にあらわれる。減反政策は支持する。消費者のパンなどによる米ばなれもあるため、生産調整はしなければいけない。米の価格は上らないで自分たちは苦しくなるだけだとおっしゃっていた。 話をしてくれた人 区長 江頭 高次さん(昭和5年生) 館長 末次 勝利さん 浜野 秀次さん(大正5年生) |