【神埼郡千代田町古賀地区】

S1−17 944840 寺崎 正

S1−17 944839 田村 淳

 

〜聞き取りの手順〜

@まず村を歩きまわって水路、橋、ほりにしこ名と思えるものがないか探した。→収穫なし。

 

A道を通るご老人や、家のえんがわで干物を作っている老人や畑にでている人にたずねた。

((その答え))

(i)もっとも多かったのが“分からない”、“忘れた”といったものだった。人がいうにはもう整備があったのは2015年以上前のことだからもう覚えていないらしかった。

昔は自分の田畑にも自分の家だけの呼び方があって“〜の田”などといっていたということは数人の人がいうものの“〜”の所がとても昔のことであるために思い出せないらしかった。

 

(A)その他の答

“大将に聞いてくれ!!”という答えがあった。これをもとにその人の家にいくと教えてくれた。

 

◎それは次のページに示す。

 

その後もあるきまわったのだがだれにきいても“大将が一番もの知りじゃけん”という答しかなかった。

 

○まず、しこ名を書き記す。

1、ようじゅうがた

2、ふるかわ

3、なまづえがた

4、竜尾(→現在も使用)

5、1本柳→(由来)そこのうえにあった柳の間を1つの田としたそうだ。

6、2本柳→(由来)〃

7、3本柳→(由来)〃

8、4本柳→(由来)〃

9、5本柳→(由来)〃

10、6本柳→(由来)〃

11、快楽(→現在も使用)

12、田中(  〃  )

13、古賀(  〃  )

14、渡瀬(  〃  )

15、ふじの木

16、はちのつぼ

17、こいはし→(由来)これははっきりとは覚えておられなかったが「昔養殖があった…。」とかいっておられたので“こい”とは魚の“コイ”のことと思われる。

 

〜話の主〜

古賀次郎さん(73才)→古賀村の中では有名人らしく“大将”とよばれている。この村のしこ名について独自に調査したらしく、そのことは村の人がだれでも知っていた。又彼は自分が知っているもの以外はない、と言っておられた。

 

〜去年の水事情〜

 去年の水対策についてたずねたが、特に水不足だったということもなかったので雨ごいなどをやることはなかったそうだ。それどころか、昨年の冷害による凶作とうってかわって豊作だったらしかった。しかし、“神に雨乞いをやった村もあると聞いた”と言っておられたので、近辺の村でやられたことが推測される。

 

〜記念碑〜

 私たちが“快楽”という所を歩いているとそこの公民館の所に“圃場整備記念碑 1975年”と書いた石碑を発見した。それから見ても約20年前のことであるのでもう人の記憶から失われつつあるのは事実である。



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