【神埼郡千代田町上黒井地区】

中世の村と人々レポート

LT-6 942101 古賀 豊 

LT-6 938045 福山房之助

 まずバスを降りてからいきなり上黒井へ行くのに迷ってしまい、かれこれ1時間ぐらい歩いただろうか、やっとの思いで上黒井に着いた。

 最初に町会長(組長)さんの家を訪ねるついでにそこらの古い家をあたった。今、お年寄りの人は外出しているから田ん中のことについては分らないと言われ、組長さんの家を教えてもらった。そこで組長さんの家を訪ねたが、断られてしまった。ので、ランダムに近くの家を訪ねた。

最初の家は田中勘次さん(大正2年生まれ)宅であった。田中さんからは家が多くあるあたりの田ん中のしこ名や橋の呼び名を教えてもらった。しかし覚えていないこともあるそうで、誰か他にいませんかと聞いたところ、田中さんと同じぐらいの年の人は何人かしかいないとのこと。そこで次に黒田徳次さん(明治45年生まれ)を訪ねた。黒田さんはかなりお年をめしていらっしゃったため、その息子さんらしき人が通訳のようなことをしてくださり、黒田さん所有の田ん中のしこ名については聞かせていただくことができた。

 次に、誰か紹介して欲しいと言ったところ、町会議員の黒田武人さんに聞けばかなり分るんじゃないかと言われ、さっそく訪ねてみた。しかし運が悪く黒田さんはちょうど仕事に行ってしまっていて話を聞くことができなかった。そこで他の家を色々訪ねてみたが、留守が多かった。そんな中でちょうど訪ねた家が黒田日吉さん(大正6年生まれ)宅であった。ここでは田ん中のしこ名についてはもちろんのこと、昔からの水の奪い合いは別になかったこと、水不足に特に対策をたてなかったこと、田んぼによって米の出来具合に特に差はないことを教わった。用水の水源やポンプの名前について聞いたが、自分はもうほとんど覚えておらず、先ほどの議員の黒田さんぐらいしか知らないだろうと言われたので仕方なかった。

 

(地図は佐賀県立図書館所蔵)



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