【神埼郡千代田町十条地区】

中世の村と人々(火曜3限目)レポート

95年1月22日(日)

 

―現地調査をして(十条)―

LT-8 942189 西村慶太

LT-9 942247 松永千鶴

1.聞き取りの方法

 最初にまず区長さんの家をたずねてみたが、風邪をひかれていて寝ているということで会えなかった。そこで、道端を歩いている人に誰かいないかと尋ねてみると組合長さんを紹介されたが、今度は組合長さんを尋ねると他の人を紹介された。そして、やっと話を聞くことができた。その後は、もっといろいろな人から話を聞くために集落の一軒一軒をしらみつぶしにあたっていった。十条の集落のほぼ9割以上はあたったと思う。しかし、成果は思うようにあがらなかった。

 

2.聞き取りの内容

 1)しこ名について…位置、名前とも教えてくださった方、すべての方が一致していた。

  きたうら……うらというのは集落のことらしい。集落の北にあるという意味。

  みなみうら……集落の南にあるという意味。

  せんのじゅう……昔、この辺りにはたくさんの屋敷があったらしい。“へいのやしき”、“りゅうぞうじ”ともいうらしい。

  はたけだ……畑があったらしい。

  てんじんさん……神社があったらしい。

  さんぼんまつ……昔、この辺りには3本の大きな松の木があって、これを切り倒して水田を作ったらしい。

  くだりみち……南にくだっていく所にあるという意味。

  ようようかい……あまり米がとれない田だったようで、出来高をきくのに“ようようかい”(どんな様子かい?よくとれるかい?の意味と思われる。)という質問がよくなされたらしい。

  その他、“ごのつぼ”、“やつえだ”、“ろくんつぼ”、“じゅうに”、“ぶんげつ”、“きょうめ”、“みはら”、“このすみ”、“ぜんぜんみぞ”、“かきのき”、“るろう”、“ひちんぞう”、“あねうら”等があった。“じゅうく”=住く

 

 2)しいど、橋、ほりなどのしこ名について

  なまずほり……なまずのような形をしていることからついた名前らしい。

  これ以外のしいど、ほり、橋などは田ん中のしこ名がもとになっており、

きたうらの所にあるほりは“きたうらのほり”、

やつえだの所にあるほりは“やつえだのほり”

という風に“〜のほり”“〜のはし”というように呼んでいて特別にしこ名はないと言われた。

 

 3)村の水利について

  城原川から水をとっていた。その用水の受益村は正確な数字はでてこなかったがかなり多いようだった。過去に水争いは一度もなかったらしい。水をひくために田ん中をつぶして堀を作っていたらしい。平成6年の水対策については、“雨が降らずに困った”とは言われたが、特別に水対策を何かしたというようなことは言われなかった。

 

 4)田について

  この村のすべての田が二毛作らしい。(→麦も作らないと米だけではやってはいけない)この村ととなりの村(黒井)との境界から西側が、米がよくとれる良田だったらしい。

 

 5)圃場整備前後の状況について

  a)圃場整備前

   ・昔は牛馬をひいて、全て手作業で行っていた。また人を数人やとって、寝泊りさせながら手伝わせていた。(もちろん賃金を払う)

   ・そんな中で船津市次さんは昭和38年頃、すでに兼業農家になった。

  b)圃場整備後

   ・状況がそうなったから仕方なく兼業農家になった面もある。

   ・農村の高齢化がさけばれるが、機械だから年寄りだけでもやっていける。

   ・精米なども近くの工場に持っていく。(料金を払う)

 

 6)その他

  ・でさく(となりの村(大石)の土地を買って米をつくること)、いりさく(となりの村(大石)の人が十条の土地を買って米をつくること)というものがあったらしい。

  ・年寄り(60才以上)ばかりでやっており、ほとんどが兼業農家。→機械化のために、どこかで勤めながら、土・日・連休を使ってやることができる。

  ・農家はかなり骨を折るわりに収入があがらない。

  ・若い人の専業農家は全くいない。

  ・若い人は定年になってから村に戻ってきて農家をやる人がほとんどである。

  ・古米になるとほとんど売れなくなるので、品質を保持するために低温倉庫(九州一)ができた。

 

 7)今後の日本の農業への展望について

  圃場整備後、1町しかもたない人もできており、このような人は機械を購入すると、機械の方が高くつく。若い人は農業はやりたがらず後継者はいない。このままでは日本の農業は危機に陥ってしまうが、おそらく将来は農村の中に固定農民が何人かできて、農業は企業化するだろう。

 

3.最後に

 ・今回このような調査は生まれて初めてで、最初バスから降りた時は不安でいっぱいだった。しかし、農家の人という日常生活の中ではほとんど話すことのない人々の話を聞くことができ、かなりよい勉強になったと思う。

     私達は突然、村の人々を訪れた訳であるが、“なぜ前もって連絡をしなかったのか(そうすれば前もって準備ができたかもしれない)”としきりに言われた。“急に来られても…”という感じで、これは今後改善するべき点ではないかと思った。

 ・しこ名というのは田んぼ1つ1つにあるのかと思っていたが全くちがっていたので驚いた。

 

<協力してくださった方々>

 船津正己さん T13生……圃場整備時の組合長さん

 船津市次さん T14生

 中島一郎さん M37生

 その他、十条の多くの方々



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