【神埼郡千代田町黒津東、馬場地区】 歴史と異文化理解Aレポート S1−17 944830 新留 優文 まず、人家を訪ね、黒津東周辺の田ん中に詳しい方を紹介していただいた。宮原巌さん(72)だった。 ・黒津東周辺 ・しこ名は地図に書いた通り。尚、しいど、橋、ほり、井樋などのしこ名も聞いたが、別に呼び名は無いそうだ。 ・水利については、昭和41年ぐらいまでは筑後川から水を引いていたが、建築業者が川の砂を取ってしまって、川が深くなった為、川と海の境が無くなってしまい、海水が流入して川の水が使えなくなったそうだ。 ・今、裏作が中心で、もち米70%、麦30%ぐらいだそうだ。 ・肥料は下肥。 ☆宮原さん宅では、付近でとれたのりをごちそうになった。宮原さん夫妻は、とても親切にしていただきました。 そして、馬場周辺の田ん中に詳しいという坂井誠さん(83)を紹介していただいた。 ・馬場周辺 ・しこ名は地図に書いた通り。尚、しいど、橋、ほり、井樋などのしこ名も聞いたが、別に呼び名は無いそうだ。 ・水利については、黒津東と同様昔は筑後川から水を引いていたようであるが、同様の理由により今は川から水を引けないようである。尚、馬場周辺は土地が高く、大雨の時でもそれ程大変では無かったそうであるが、その馬場の村をとり囲む一帯の田ん中は、土地が低く、井樋などから水を出すのが大変だったらしい。水門が筑後川沿いに何個もあった。 ・黒津は昔は150戸(以前は千歳村) ・基盤整備が14年前に始まる ・肥料は、いわしをあげてかわかしたものだそうだ ☆坂井さん宅では、果物等いろいろといただいた。坂井さんが、昔のことをなつかしむかのようにうれしそうに話してくれたのが非常に印象的だった。 そして、下西周辺に詳しい吉富さんを紹介していただいたが不在、大石亘さん(67)を訪ねる。 ・下西周辺 ・しこ名は地図に書いた通り。尚、しいど、橋、ほり、井樋などのしこ名についても聞いたが、別に呼び名は無いそうだ。 ・水利については、馬場、崎村は田手川、黒津、下西は城原川から水を引いていたそうだ。この付近は土地が低く、大井樋、水門から水を出すのが大変だったそうだ。また、最近の水不足の対策として、海の水が登ってくる時に塩水が入らないように水を取ったそうである。そして近年、井樋がこわれているのに気付かず、海水が流れ込み、吉野ヶ里の田ん中が真っ赤になったそうである。これは、宮原さん、坂井さんにも話していただいた。この付近の農家にとってとても大きな出来事だったにちがいない。 ・あお→潮の満ち引きで水門を開ける。町にてっかん水機を置き、8:00〜12:00給水 ・将来は、少数の大きな農家で農業をしているのではないか。(他から田を委託されて) ☆大石さん宅では、長々と在宅させてもらった。 最初、農家の方のお宅へ突然訪問にとまどいがあったが、直接農家の方(ご老人)にふれてみて、すごく親しみ易かった。皆さんの暖かさがすごくうれしかった。本当にありがとうございました。 |