【神埼郡千代田町姉本村地区】 姉本村レポート 1月16日(月) 940095 武田康代 940108 鶴 奈保子 私達はまず、自治会長(区長)の坂井五郎さん宅を訪ねた。しかし、しこ名に関してはあまり詳しくないから、と数人の古老宅を紹介してくれた。また、農地に関しては生産組合長に尋ねるのが良いとのことだった。 まず、私達は生産組合長の古賀才蔵さん(S23生)を訪ねた。村の範囲を教えてもらい、去年の水対策について尋ねた。姉本村は、大変水に恵まれた土地で、去年の干ばつにも全く悩まされなかったという。もらい水をするどころか、水不足で困っている地域に水をわけてあげていたそうだ。しかし、これをきっかけに、「水のあけしめ」といった具合に、水位を調節し始めたという。 しこ名などに関しては、数件の古老宅を訪ねたが、村のほぼ中央を流れる「せんぞく川」の恩恵が非常に多大であることが印象深かった。姉本村のみならず、圃場整備以前には、下黒井、境原、下直鳥などもこの川から用水をとっていたそうだ。姉本村の東に流れる城原川が干上がっても、「せんぞく川」周辺は水不足に苦しむことはなかったということである。農業用水としてのみならず、もちろん飲料水としても重要な役割を果たしたが、「るろ川」の水は特にきれいだったと話してもらった。実際、昔からあったのだろうと思われる古い家の裏口には、川へ降りるための石の小さな階段が残っていた。また、戦前化学肥料が入る前には、鶏糞、馬糞、牛糞、人ぷんなどを肥料として使ったのはもちろんだが、魚の死がいなどの川のゴミも利用していたという。「せんぞく川」から、村の人々は並々ならぬ利益を受けていたことが分かる。水争いも、ほとんどなかったということだ。 しかし、水が足りずに悩んだことがない代わりに、大雨による増水のおかげで不作になることはよくあったという。5月の大雨で、田んぼに魚が泳いでいることもしばしばだったそうだ。特に「みやのうら」から東(古川、宮ざき、ほいき、いっちょうだ)は、砂まじりの上に地面が低く、大雨の年、麦はとれたが米は不作であった。また、「けいつぐろだ」というしこ名は、「かいつぐろ(かわせみ)の田」という意味で、大雨が降ると水がたまって池のようになり、かわせみが泳いでいたためにつけられたのだそうだ。ただし、湿田はあるにはあるが、麦作できないほどのものではなかったという。場所により、米がとれたりとれなかったりという差も特にはなかったようだ。また、圃場整備以前には、満作時には一反あたり11俵もとれていた。戦前、化学肥料が入る前には、一反あたり8俵が平均であった。 最後に、私達は今後の日本農業についてのお話をきいた。中原政吉さん(T8生)いわく、「昔は馬の一頭で田んぼばしよったばってん、最近は機械のふとうなって、何百万もすっとば買わんばいかん。税金は個人で納めよっし、1人1人じゃたちうちできん。大きか共同ば作らんばし、米とか麦だけじゃのうして、他んとも作らんば追いつかんやろうね。」また、坂井謙吾さん(S6生)は、国の助成を強く要望している。「円高はまだおさまらんな。日本は物も土地も高かし、人件費も高か。アメリカじゃ何万円かの土地の、日本じゃ何百万もしよる。日本は土地も狭かし、農家も減ってきた。姉の農家も小さかとばいれても、180戸住んどっうちに36戸ぐらいしかなか。国の本腰入れて農業ば援助して、円高のおさまらんない日本農業はつぶるっやろうね。」 人のよさそうな、ニコニコしたおじいさんが、農業について真剣に語ってくださる姿には、いわゆるその道の専門家、「プロフェッショナル」のプライドが感じられて、印象的だった。 |