【神埼郡千代田町大石、新宿地区】 歩き、み、ふれる歴史学〔月曜1限〕 現地調査レポート 出発日:7月13日(土) 1AG96107■ 城田征一郎 1AG96120■ 高瀬 敬史 調査地:神埼郡千代田町大石、新宿(しんしゅく) 昭和58年圃場整備済、広さ:五十町歩 (調査に協力していただいた方) 区長:実松満さん 大正12年生(73歳) 古老:舟津仁三さん 大正4年生(81歳) 光円寺住職:龍護隆志さん 昭和21年生(49歳) ・しこ名一覧(田) ア行 あねみぞ いでりゅう うういし カ行 ごのかく サ行 さのかく さんだんがく しのかく しんでい じょうこう じんちょう タ行 でいら てらのうら ナ行 にしのんぼい のんぼい ハ行 はちのかく(二ヶ所) ひのつめ マ行 まいごう まえだ みいえんじ みなみのまえ ヤ行 やつえだ よもじろ 〔大石の名の由来〕 現在、公民会の前に大きな石があるが、人々はこの大きな石を神格化し、大石権現としてあがめていたことから、「大石」という地名がついた。 新宿は、参勤交代の際、ちょっとひとやすみする程度の宿のようなものが数軒あったことに由来。実情は大石の中に新宿と称される地区があるといった感じであるが、光円寺住職はそうだとは断言できないといっており、詳細は不明である。新宿は、県道48号線沿いの一帯のことを言うそうである。 〔両国橋について〕 両国橋とは、光円寺付近の小さな橋のことを言う。その名称の由来は、鍋島藩の本領土と、分藩である蓮池藩との境界にあった橋であったことから、両国橋と称される。 〔水利〕 大石にはクリークが多く上直鳥の次に大きな環濠集落であるそうだ。また、そのクリークの多さにより、もらい水は一切なく、干ばつの影響を受けることはない。2年前の水不足の際も全く影響を受けなかった。 そのクリークだが、こうた遺跡の方から調節されているそうである。 ・田んぼの戦前の肥料は、堆肥、魚粉を使用していたそうである。また、田んぼの収穫量についてであるが、平均8俵前後、少ない所で6俵だそうである。 〔ホリについて〕 ホリは春にゴミあげをし、そのゴミは田んぼの肥料として使用される。ゴミあげをしたホリは、中が深くなり、鯉やフナ等の魚が棲むようになる。この魚は農家の人々にとって貴重なタンパク源となっていた。 魚はクリークの水の流れがよい所、日あたりがよい所に多かったそうである。なお、ホリの所有者名、魚の多かった所、少なかった所は地図中に記す。 以上、7月13日の神埼郡千代田町大石、新宿の現地調査に関してレポートする。 |